随想

旅する若者たち

永井登志樹

 2ヵ月ほど前の7月中旬、秋田県との県境に近い青森県深浦町(旧岩崎村)の木蓮寺でJR五能線の風景写真を撮っていたら、「何を撮っているんですか」と声をかける人がいた。ふり向くと、大きなリュックを背負い日焼けした男性が、一段高い道路からこちらを見ている。ひと目見て徒歩旅行中の若者だとわかったので、私のほうが逆に興味をもっていろいろ聞いてみた。
 名前はH君。故郷の群馬県の前橋を出発してから東北地方の福島、宮城、岩手、青森と北上、北海道をおよそ1ヵ月かけてめぐったのち再び本州に戻り、今は青森から秋田に向けて歩いているところだという。このあと日本海側を南下し関西へ。四国に渡ったあと九州を経て、最終の目的地は沖縄という。何事もなければ、旅が終わるのは5〜6ヵ月先になるだろう、とのこと。
 実は私も10代後半に、彼が歩いてきた北海道南部や津軽西海岸の道を、菅江真澄の旅の跡をたどって数十日かけ歩いたことがある。だから、彼のような若者を見ると親しみが湧き、他人のような気がしない。私に声をかけてくれたのも何かの縁かと思い、持っていたデジカメで彼の姿を撮り、握手をして別れた。
 夏の季節に車を走らせていると、H君のような徒歩のほか、自転車、バイクなどで長距離旅行している若者たちをよく見かける。10代、20代には、私も同じように徒歩や自転車で旅をしていたので、彼らを目にするたびに若いころの感情がよみがえって懐かしい気持ちになる。そんな時は、当時お金がなかったのでヒッチハイクをよくしたことを思い出し、その恩返しというわけでもないが、ヒッチハイカーがいれば必ず乗せてあげよう、と思う。
 ところが、そんな私なのに免許をとってからこれまで乗せたことがあるのはわずか2回だけで、ヒッチハイカーにほとんどお目にかかったことがないのである。
 かつて60年代、70年代のころは、ヒッピー文化の影響もあって世界中でヒッチハイク旅行を試みる若者がいたが、現在は法令で禁止している国(本場のアメリカでは州)もあり、旅行の移動手段としては世界的に衰退しているようだ。
 日本はもともと無銭旅行=ヒッチハイクの文化がなかったので、定着する以前に衰退したともいえる。また、私自身ひんぱんに幹線道路や高速道路(最近は高速のサービスエリアでヒッチハイキングすることが多い)を走っているわけではないので、ヒッチハイカーに出会う確率が少ないこともあるのかもしれない。
 私が乗せた2人のヒッチハイカーのうち、ひとりは外国人、もうひとりは女性だった。
 外国人は20代半ばくらいの若いドイツ人で、15年ほど前、秋田から男鹿へ向けて土崎の臨海道路を走っている時に、道端で親指を突き立てていた。このポーズは万国共通のヒッチハイクの意志表示だ。もちろん親指以外の人差指や中指を立てたら、国によっては大変なことになる。



 彼を乗せたとき、ちょうどカーステレオでかけていたのが、ドイツ映画の『ベルリン天使の詩』(1987年/ヴィム・ベンダース監督)のサウンドトラックだった。偶然にしてはできすぎていると思われるだろうが、でも、嘘のようなホントの話である。
 この映画は有名なので彼も知っていて、まさかこんなところでドイツ語を聞けると思わなかったのか、驚き喜んでくれた。映画で詩を朗読するペーター・ハントケという作家について話をしたかったが、お互い片言の英語ではうまく意志の疎通ができず、男鹿半島の南海岸の門前集落まで乗せ、そこで別れた。
 日本を旅行中のドイツの若者が、せっかく男鹿まで来てくれたのにろくな案内もせず、交通量の少ない辺鄙な場所で降ろしてしまった。今思えば、自宅に泊めるなどもっと親切にしてあげればよかったと後悔している。
 もうひとりの女性のヒッチハイカーを乗せたのは10年ほど前のこと。彼女は早朝5時半ころ、秋田南インターチェンジの入り口に立っていた。その日、お昼に福島で取材の仕事があり、朝早く高速道路に乗ろうとした私の車に近づいてきて、東京まで乗せてくれという。
 見れば、まだ高校生と思しき若い女の子ではないか。「福島までしか行かないが」と言うと「それでもいい」と言って乗り込んできた。
 ひと目のつかいない早朝、若い娘がインターチェンジで東京行きの車に乗せてもらうなんて、どう考えても家出としか思えない。それに見ず知らずの男の車に乗るなんて怖いもの知らずというか、大胆だとは思ったが、私は彼女のプライベートに立ち入る話はまったくせず、福島のサービスエリアまで乗せ、そこで降りてもらった。
 彼女には次は運転手が男性ではなく、女性か夫婦の車を探して乗るようにとアドバイスしたが、それを見届けることなく別れた。今でも無事東京に着いたのか、その後どうなったのか、時々気になる。結果的に家出の手助けをしたことになるのだが、彼女とプライベートな話をしなかったのは、私には10代の娘を説教する度胸などハナからなかったということだと、今にして思える。
 私にとって今のところたった2人のヒッチハイカー体験だが、どちらも映画のワンシーンのような、あまり現実味のない話で、ちょっぴり後味が悪い思いが残っているのが考えてみれば不思議だ。
 ところで、秋田・青森県境で出会った徒歩旅行の若者H君は、今ごろどのあたりを歩いているのだろうか。別れ際に彼の写真を撮った時、私のブログに載せることを了解してもらった。群馬の親御さんや友人たちが万が一インターネットで見ることがあれば、元気な姿に安心するだろう。そして私のブログを見た人が彼をどこかで目にすることがあったら、励ましの声をかけてあげることもできるだろう。
 彼とはまたどこかで会えるかもしれない。旅の幸運と無事を秋田から祈ることにしよう。