随想

秋田三題噺 −杉・米・魚−

あゆかわのぼる(エッセイスト)

 杉、米、魚。そのいずれも、私は素人。
 一方で、『くされまたぐら』を自認。
 またの渾名を『悪食』、あるいは『ダボハゼ』とも。
 何でも、嵌ってみたいし、食らいついてみる。
 例えば秋田杉。
 正しかったかどうかいまだに釈然としないが、『水と緑の森作り税』を作る時、結果的には荷担した。
 私は最後まで、その税が、秋田の山と里を豊にする効果があるとは思わなかった。山を荒らし里を寂れさせたのは、40年くらい前の国の誤った政策の『拡大造林』でも分かるように、“民”ではなくて“官”なのだから。
 秋田杉だって、その価値を下げたのも外材を入れたのも官。失地回復に手をこまねいているのも官。その責任を民に押しつけ、金を出せ、尻拭いをしろ、と言われても戸惑うばかり。
 私は委員会で、「出口論、川下論をしよう」と言い続けた。秋田杉の活用について、行政と業界を先頭に、県民一体となって、あるいは全国民から知恵を借りて可能性を探ろう。そこから瑞々しい緑の山、豊かな里作りが見えてくる、行政はそのためにもっと頭を使う事が先決だ、と言い続けたが、県は「とにかく新税を」と逸った。
 先日TVを視ていたら、青森県で、杉の間伐材からバイオエネルギーを作る技術を開発した、という報道をしていた。全国放送だ。
 青森県は、日本3大美林のヒバの県で、健康飲料を作る研究や、美味い大根作りの堆肥、石鹸、シャンプーなどの商品化に成功している、と本で読んだ事がある。ヒバの県だからそれは当然だが、杉の間伐材の、先端的な有効利用が研究され成果を出す。
 その3大美林、杉を抱える我が県で、全国に知らせるようなそんなニュースは聞かない。造園業者が、杉の間伐材で作った焼き杭を、安くてものがいいから県外から買うという話はよく聞くが。
 一方で、秋田杉で家を建てる時、建築業者と一緒に山に入り、杉を選ぶ事から始めたというのをTVで知り、その話をすると、「そんな贅沢が誰にもできるわけがない」と一蹴される。「秋田杉の家は高い」とは誰でも言える。しかし、「高いけれどもいい」と言う人は少ない。
 税金は取り、やる事はおままごと、で済まされまい。
 それにしても、汚染米、事故米事件は、教育的な事件だ。日本人は何と愚かだったのか。否、賢しかったのかもしれない。
 今ごろ気がついても仕方がないが、私たちは、日本人としてこの世に存在して以来、「米は食うもの」、それ以外の用途など考える事なく生きてきた。
 特に秋田県民は、一面、休耕田を含めて田んぼだし、それでもたりなくて、豊饒の湖・八郎潟まで潰して米を作り、日本農業21世紀の曙と囃立て、ただひたすらに飯にして食うばかり。それ以外に考えることはしなかった。
 酒米があるけれど、微々たるものだろうし、山形や新潟がせっせと米菓を作って潤っているのに見向きもせぬ。官とか農協の、「飼料米を作ろう」とか、「工業用資源米を作ろう」という声も聞かなかった。民から声が上がれば、「罰当たり!」と、それを押さえた。
 まさか、口に入る以外に、大量の米が使われているなぞ、一般国民は思いもしなかったし、その大半が外国からの輸入だった、と聞いて、びっくりするしかない。

 今回の汚染、事故米大量横流し事件は、業者がそこを突いた。変な言い方だが、この単純明快さは、見事というしかない。官と輸入業者以外の誰も、その米を使って食品以外の製品を作っているなど知らなかった。人間のであれ、家畜のであれ、口に入れる以外の米があると、誰が思っていたろう。だから、造り酒屋も米屋も、何の抵抗もなく、安けりゃ買うのが当たり前。
 官は、最初はとぼけ、追い詰められると、貸元と代貸が舞台から降りて幕を下ろそうとする。日本の米作りの根本のところが、有耶無耶のまま闇の中に隠される。
 今回の事件で、食う米、飼料米、肥料も含めて工業用資源米の、少なくとも3種類の米が作れる事がはっきりした。さて、日本農業が、それに取り組むか。
 魚だってそうだ。
 今、秋田県の水揚げ量のトップはハタハタ。
 数年前までは、ホッケ、アジ、紅ズワイガニなどが上位にひしめいていて、ハタハタは、4位か5位。それがいつの間にか、それらを押し退けてトップの座についた。
 これは、ハタハタの漁獲量が増えたからではない。ホッケやアジを水揚げしなくなったせいにすぎない。
 なぜか。
 官、あるいは漁業関係者が、水揚げされたホッケやアジをおじゃせなぐなったせい。
 これもまた、生のまま、煮て食う、焼いて食う。若干干してから、やっぱり、煮て食うか、焼いて食う。水揚げトップだから、その程度では消化しきれない。養殖魚の餌にしても、高が知れ、再び海に持って行って捨てる。それを繰り返してきた。加工して、付加価値を高めた商品にするとか、魚肥にするなど、考えもしない。
 私が再三再四、本格的な加工化の研究に取り組むべし、と書いたり喋ったりすると、「素人が余計な口を挟むから、やりにくくてしょうがない」と、官が陰で言っているという声が聞こえる。そしてやがて、ホッケやアジが水揚げされなくなった。
 ハタハタだって同じ事。煮て食う、焼いて食う。若干飯寿司にして売る。
 昔は、獲れるだけ獲って、食いきれないものはそのまま、浜辺に積み上げて捨てる。腐った汁が海に流れて磯を汚し、藻を滅ぼす。藻がなければ子供を生みにくるハタハタにとって用はないからこない。そういう無知の積み重ねが、ハタハタ絶滅寸前の原因の一つだった、と古老の漁師から聞いた事がある。ここにも、官の無策が見え、それは、今も変わらず。
 藩政時代、佐竹氏が魚肥として他藩に移出したという記録があるらしいが、そこからなにも学んでいない。
 賢者は歴史に学ぶ、というが、さて。
 私はかつて、国内外のハタハタを秋田に集め、秋田ブランドのハタハタ商品をいろいろ開発して、大々的に市場展開すべし、とも言った事がある。ハタハタの漁獲量は、秋田県が4位か5位なのだから。でも、これだけは、やらなくてよかったね。もしやっていたら、今ごろ、産地偽装とか、偽ブランドで大騒動だったかもしれない。
 それにしても、日本は、間違いなく豊葦原瑞穂国。
 そして、人々はいまだに農耕民族。
 秋田は、その典型だねぇ。