「税金を納めるために働いているようなもんだ」テレビのCMに出てくる主婦の言葉に触発されてのこれは話である。
二十一年間勤めた小・中学校の教師を辞めて、それまで夫が経営していた家電製品・レコードの販売と、電気工事の店の経営を引き継いだ時は、羅針盤のない小舟が荒れ狂う大海原に乗り出したような心細さと不安でいっぱいだった。ゼニ勘定の感覚ゼロという評判のこのわたしから、物を買ってくれようという人が果たしているだろうか?という不安である。
夫はその時、町の某製材所から常務取締役として招請されていた。Y工専出で一級の無線技術士と、高圧電気取扱い免許を持つという履歴が買われたのだろうか?タナボタのように転げこんで来た転職の機にあたって、夫は自分の跡を、縁戚関係にある従業員のTにゆだねようという心算だった。ところが取引銀行の秋田銀行五城目支店長M氏から“待った”がかかったのだ。M支店長が出された条件は、「店の経営をTでなく奥さんが引き継ぐか、それでなければこれまでの銀行借入金を全部精算するか、どちらかにせよ」というのである。
M氏はいったいなにを判断のよすがとされたのだろう?定年まで勤めあげれば二千五百万円の退職金と月々二十数万円の年金を受給できるという教職をよもや投げ出すまいから夫は転職を諦めるだろうという思惑だったのか、それとも人に好かれる性質ではあるが商人には向かない夫より、女房の方は少なくとも教師だから万々堅実にやるであろうという臆測からか?とまれ、その女房が夫に輪をかけた金銭オンチであることを神ならぬ身のM支店長はご存知なかったのだ。
そんなわけで未知の大海原に乗り出した怖いもの知らずの小舟の処女航海ともいうべき航跡は、初めは全くハチャメチャであった。銀行に借入金の申し込みに行って、貸し付け係から「いかほどご用立てしますか?」と問われ、「できるだけ沢山!」と答えて窓口に居並ぶかつての教え子の女子行員たちが、制服の背中を波打たせながら「クックッ」と声を忍ばせて笑っていたのも今は懐かしい情景ではある。反面、「貸借対照表」とか「手形取引」などという語いも新知識として獲得、なにより“明日の糧のために今日を稼ぐ”という社会の底辺に生きる人びとの活力にじかに触れる商売は、六ヶ月に一度昇給して行く教師の世界では得られない緊張感とゾクゾクするような新鮮さがあって、教えられることばかりだった。
そんなある日の事、ひとりの男が店に現れた。財務事務所の職員と名乗った男は、滞納している自動車税を徴集に来たという。
滞納したのは、もちろんわが夫であるわけだが、わたしは男に向って言った。
「この間、ある家に行ったら“優良納税者”という金文字の入った立派な盆が飾ってあった。あたしは先生をしていた二十一年間、一度も税金を滞納したことはない。それなのにわたし一人でなく他の先生方にも、金文字のお盆とまでは行かなくとも、テヌグイの一本も寄越したことがあるか!そんな不公平な、金持ちにだけこびへつらう税務署には拂いたくない!」自動車税に対して、物申すのはいささかお門ちがいとは思ったが「税務署の前に薪を積んでガソリンぶっかけて火をつけるぞォ」と凄んだら、男は吹き出した。
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「奥さん、俺だって納税者の一人なんだからそう怒らないで下さいよ」その男の話によると「奥さんみたいに勇ましいのはこの町では珍しい。たいていはなかなか拂わないくせに催促に行くとおとなしくちゃんと拂ってくれる。どうせ拂うのなら延滞料がつかぬ前に拂えばよさそうなもんだけど、町民性なんだかねェ……」と吐息をつきながら男は話を継いで、「これがT町あたりになると、それこそ命がけでね、『社長、そうおっしゃらずになんとか拂って下さいよ』と肩をポンと叩いて帰って来たら、所長が蒼くなって待ちかまえていて「お前○○に行って何をした?」と言うから「なにも…」と答えると、その社長から「税務署員ともあろう者が、暴力を振るった、警察に訴える」と電話がかかって来たという。「うっかり冗談も言えない」と彼はボヤいた。昭和四十年代のこれは話である。で、話の本命はこれからなのだ。会社から帰宅した夫にその日の報告をした。
「あのな」夫はおもむろに口を開いた。「税金というのは、我々にとって不可欠なものなんだ。そのお蔭で山の中にも道路が出来、橋が架けられ、公共施設ができる。我々庶民はどれほどその恩恵を蒙っているかわからんのだよ。」えんえんと税金なるものの恩恵についてのたもうた。私は言った。「…でしょ!わたしもそう思うから、拂ってやったのよ」その直後である。わたしがブッ飛んだのは…
そう言ったとたん、夫は椅子からはね上がった。「拂ったって?えーっいくら拂った?」
「貴方が滞納した分、全部よ。」
「ギャオ!」と言ったかどうかわからぬが、ともかくそんな感じで「全部ゥ…拂っちまったのかァ!」世にこういう男が存在するものなのか?それも撰りに撰ってわが傍にいる。唖然としてわたしはわが夫なるその男を眺めた。
数年後、勤め先の会社が倒産して彼は店に戻って来た。わたしがさし出した貸借一覧表を見て彼は言った。「なんだ、これは?借入金がなんにもないじゃないか?」
工事代金として手形を貰う。銀行に割ってもらうと利息が割り引かれる。バカバカしいなと思ってとにかく期日まで持ちこたえるようにした。万事そんなふうにして、“出ずるを制して入るを図る”の精神でやっていたら一千万強の借入金がなくなってしまったのだ。「よくやった!」とのおホメの言葉を期待したわたしに夫は言った。
「バーカ!借金も財産のうちだ。借りてやらなければ銀行がツブレル」
いわゆる不条理の存在とか、持ちつ持たれるの人の世の原理を教えられたのは、破滅型といわれた太宰治(作家)に心酔していた今は亡きこのひとのお蔭のような気が今はしている。
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