文化遺産
No.59
旧角館製糸工場

仙北市角館町田町字下丁14-3

近代文化遺産

 藩政末期から明治、大正時代にかけて秋田でも養蚕と製糸が盛んな時期があった。平成10年7月に国の有形文化財に登録された旧角館製糸工場もその遺構の一つで、角館の製糸業の起こりは明治7年(1874)に横町川端に水車動力によるものであった。さらに同31年に太田蔵之助によって岩瀬勝楽に角館製糸合資会社が設立されたがやがて解散、その後、移築されたのが角館製糸場を受け継いだ角館製糸工場である。

 この製糸工場が建造されたのは明治45年(1912)前後とされているが、大正7年(1918)操業停止された後、隣接する土蔵とともに米の集積場となっていたという。旧製糸工場の建物は桁行18間(32.7m)、梁間4間(7,3m)、72坪(約240ha)の規模であった。寄棟造鉄板葺の屋根で、棟には越し屋根を通しその外壁側面と主屋の庇下部には採光のガラスが嵌め込まれた高窓が四囲に設けられていた。これは製糸工場の採光ばかりでなく、操糸釜が置かれた操糸場の換気のためでもあった。
 建物の小屋組は、対束式の木造トラスで、クイーンポスト間に方杖が筋交いに入れられ二重梁となっていた。また、越し屋根部分は束立で、主屋の桁はトラス部分も含めて水平に通す和小屋風の洋小屋となっていた。建物の北側には框(かまち)扉が残され、当時流行した擬洋風の名残も見られる。
 養蚕や製糸業が日本の近代化産業の花形として脚光を浴び、秋田県内でも各地に養蚕業組合が設置されている。製糸、織物業の多くは地元資本によって経営され機械製糸工場は23ヶ所を数えたものという。角館製糸工場は大正7年に操業停止しているが、この時期は養蚕技術の普及と機械製糸工場の拡大を目指してさまざまな試みがなされ、県内では特に湯沢町(現湯沢市)がその先進地となり養蚕、製糸業近代化の拠点となっていた。

(取材・構成/藤原優太郎)