随想

麺・丼談議

あゆかわのぼる

 昔はラーメンや蕎麦を食べ歩いていた。
 仕事で県内を歩くときは、そのエリアに美味しいラーメンか蕎麦があるかどうかを事前に調べた。分からないときは現地に着くと探して確認してから仕事にかかった。
 秋田市内は賢妻と食べ歩いた。名の知れた所は勿論、知る人ぞ知るラーメン屋も探し出してたどり着いた。
 ラーメンに嵌まるきっかけはサラリーマン時代。県南。晩年の4年横手市で暮らしたが、そのとき湯沢の『大元』と沼館の『なお古そば』を知り、通い詰めた。いつかも書いたが、なお古そばのホルモンラーメンは特別の味で今でも年数回車を走らせる。それと十文字町の『かくまる』(だったかしら)の冷やしラーメン。
 忘れられないのが秋田市仁井田の『三日月軒』で月に二度くらい賢妻と通った。ところが忙しさに紛れて一月ほど遠ざかっていたら、あるとき突然のように店仕舞いをしていた。ショックで何度か本場の酒田市に食べに行ったが、とても仁井田の味には敵わなかった。
 現在世界漫遊中(まだ帰ってきてないヨナァ。いつ帰ってくるのかナァ)の角館の『ラーメンいとう』の大将とは会話のできる数少ない一人と自負している。通い続けて20年にはなると思う。かなり以前、『神田川』の作詞家、喜多篠忠とばったり会い、彼は2杯食べ、話が弾み、しばらく文通した。早く帰ってきてくれー。
 蕎麦も本格スタートは横手時代。西馬音内そば。西馬音内に3軒、三輪に1軒、湯沢駅前の『さいとう』も。その5軒を梯子した。現在も通い続けているのが『小太郎』。ここの難点は秋田から車を走らせ、やっとたどり着くと時々売り切れで暖簾を下ろしていること。でも、悔しくはあっても腹は立たない。他の客も苦笑いして戻る不思議な店だ。

 蕎麦の美味しさを初めて知ったのは大曲時代かナァ。40年近く前に3年余り暮らした。単身赴任で独身寮に潜り込み、朝晩は食事が出たが昼は店屋物。近くにいい食堂がなくていつも困っていた。同僚が「六郷にいい蕎麦屋がある」と連れて行ってくれたのが『やぶ茂』。ここにも週1ぐらい通った。蕎麦については横手にも足跡を残した。今はすっかり寂れてしまったが中央町。その奥の方に『佐藤そばや』があってそこのおろしそばは絶品だった。会社を辞めてからも家族連れで出かけたりしたが、大将が中って店を閉じた。もう1軒は、俳優の渡辺文雄が週刊誌で紹介して全国に知られた『水車』。しかし、ここで蕎麦を食べた記憶は余りない。もっぱらカツ丼。月の後半になるとそこでカツ丼を食べた。その理由は今流行の言葉でモチベーションアップ。ビジネスマンだったから「ライバルに勝つドーン」。ジョークだった。
 あ、そうだ。蕎麦にはもっと古い記憶がある。50年以上前だ。私ははじめて生まれ故郷を離れて大館で3年余り暮らした。エリアが鹿角も含まれていたし詩の仲間の田中正志が住んでいたのでよく花輪に出かけ『切田屋』で蕎麦を食べた。女将が美人だった。大館から花輪に向かう途中に『中山そば』があってそこにもよく寄った。
 こんなことも思い出した。これも大館時代。二ツ井・藤里もエリアだったのでそちらに行くと二ツ井駅前の『前田食堂』で昼にした。いつもラーメンだったが、あるとき物足りなくて「御飯を少し頂戴」と頼んだ。それからはラーメンと少々の御飯を頼むようになった。その頃すでにラーメンライスというメニューがあったかどうか知らないが、私は、「私が元祖!」と自負している。
 何でこんなことを長々と書いたかというと、ここ3年くらい前から麺を食べるのは河辺の『一会寮』と西馬音内の『小太郎』、沼館の『なお古そば』くらいになった。