随想

ふるさと


あゆかわのぼる

 明け方に目覚めたら唐突に「“羽川”に行かなきゃ」と思った。羽川は私の生まれ故郷である。何か虫の知らせがあったわけでも特別の理由を思い付いたわけでもない。

 実家はもうすでに両親も兄夫婦もいなく、甥の代になっているので、特別の用事がある時以外は訪ねる事もあまりない。次兄一家が住んでいるが数年前にって、それ以降老人介護施設に入ってゆっくり過ごしていて、弟としてはそれ程心配していない。

 羽川は、今年の春、少し話題になった。クリスマスローズという花でである。数年前、集落の有志が寺の裏手の斜面を耕してその花を植えた。寺とクリスマスローズというミスマッチ風を私はクスリと笑ったが、すこしづつ面積を広げ手入れを続けてきたらしく、今年はその様子がメディアに紹介された。先日別の用事でふるさとの後輩に電話をした時にその事も話題になり、報道以来見にくる人が増えたと言っていた。羽川に行きたいと思ったのはその事が頭の隅にあったせいかもしれない。

 クリスマスローズが咲き乱れているという寺は如意山珠林寺という古刹である。羽川は由利十二頭の一人で新田義貞の一族の羽川小太郎という武将が治めた所である。この事は海音寺潮五郎の歴史小説『羽川殿始末記』(『剣と猫』新潮文庫所収)に詳しい。珠林寺は羽川氏の菩提寺で小高い森の中腹の杉林の中にあり、向き合うように、別名を韮山城と呼ばれた羽川氏の館があった。今も古の兵どもの夢をうかがえる跡があり、そこが地元の人々によって紫陽花やツツジが植えられ、さらに平成元年に秋田市の市制百年を記念して桜が植え、今は『羽川新館公園』として集落の人々に護られ愛されているようだ。さらに少し離れたところ、かつて羽川油田全盛期の頃の石油会社の事務所があった近くの雑木林が「古館」と言われた。雑木を伐り倒せば姿を表すかもしれないが、今は、その跡を確認する事は難しい。知ったかぶりで蛇足を加えれば、新館を韮山城と称したのはもちろん新田義貞の一族という事からであろうが、事実韮を植えたようで、子供の頃、館跡の西側の斜面に韮を採りに行った記憶がある。

 珠林寺の裏手から登る小高い森を築紫森(正式には和尚森と言うらしいが集落の人々は築紫森と言った)といい、標高100mほど。頂上までの杉と雑木で薄暗い山道には西国三十三番の石仏が並び、頂上に辿り着くと360度のパノラマ。羽川が一望でき、日本海は鳥海山から男鹿半島まで見渡せる。集落を蛇行し日本海に注ぐのが鮎川。海音寺潮五郎が小説の冒頭部分に、「羽川はこの鮎川に沿って発達した、ふんどしのように長い一筋町だ」と書いている。その川が私のペンネーム由来である。

 

 

 


 秋田市の重要文化財になっている『羽川剣囃子』は、羽川氏が戦勝の宴で舞ったのが始まりといわれ、代々継承され、秋の祭りには集落を山車と梵天が練り歩き、この舞が披露される。最近はすっかり人気で、いろんなイベントから声が掛かっているようだ。

 生まれ故郷に車を走らせた。新館公園の桜はすでに葉桜となっていて、ツツジが咲き始め、紫陽花はまだ蕾、クリスマスローズは盛を過ぎ色あせていた。

 私の生まれた秋田市下浜地区は、昭和30年代の昭和の合併前は由利郡下浜村。羽川地区が中心だったが国道7号沿いの長浜、新屋に近い桂根、羽川からさらに山手に入って名ヶ沢、一山越えて八田。これで下浜村。

 年寄りじみた話になるが、私が中学生の頃、昭和の合併の頃だが、一学年が70人余り。全校で200人を超えていて、部活は体育も文化も何でもできた。それでも当時はまわりの中では中規模校だったはずだ。ところが、今年の春、母校の中学校によばれてPTAの集まりに話をしに行ったところ、校長先生が「全員が出席して下されば48人なのですが…」とおっしゃる。油断していた。私たちの頃の5分の1ではないか。部活は男子が野球、女子がバスケット、それに吹奏楽、という。これで中学教育の現場なのか。そう憤ったらもっと怖い話が出て、ここ何年か毎年5人ほど減っているという。そしてそのペースが早まっているらしい。それまではこの後10年しないうちに生徒がゼロになってしまうではないか。わがふるさとに中学校がなくなってしまう。それはそのまま下浜の存亡にかかわる事だ。かつてのマリンリゾートの下浜が。

 私は、新館公園の四阿のベンチに座り、目を瞑った。

 そして唐突に思い付いた。あの羽川剣囃子をここで舞ったらどうか。かつて一度やった事があるという。わが生まれ故郷には確か創作太鼓がある。ここに集落の人々が集い、剣囃子を舞い創作太鼓を打ち鳴らし吶喊の声を上げる。そしてやがてそれをきっかけにして県内の剣囃子剣舞を招いて剣舞フェスティバルを挙行する。恒例化して全国に呼び掛けるまでやってみる。

 ふるさとが蘇るのは難しいかもしれないが、血をたぎらせる事は可能かもしれない。

 そうだ。ふるさとの後輩たちをけしかけてみよう。