文化遺産
Vol.19
「ここにも鉄道遺産」
抱返り渓谷・神の岩橋

 今年は例年になく早いペースで猛暑の日々がやってきていないだろうか。暑いというだけで体力も奪われ、仕事もはかどらない。そよ風の吹き渡る木陰でのんびり涼みたいものだ。
 秋田で初夏から紅葉シーズンにかけての気軽なハイキングコースといえば、仙北市の抱返り渓谷も挙げられる。
 抱返り神社前に車を停めて、吊り橋で対岸に渡り、回顧(みかえり)の滝まで徒歩約30分の抱返り渓谷遊歩道は、未舗装ではあるもののほぼ平坦で歩きやすく、南側に迫る山塊が木陰をつくるため、ちょっとした納涼スポットにもなっている。眼下には独特なコバルトブルーの玉川の流れ、岩をくり抜いた素掘りのトンネルやスリリングな木橋もあり、なかなかアトラクティブなハイキングコースだ。
 実はこの遊歩道自体が、かつての森林軌道の跡だ。大正年間に、渓谷上流部から木材を伐り出して渓谷下流部の貯木場まで運ぶためのトロッコ軌道が敷かれた。貯木場からは木材を筏に組み、玉川に浮かべて運んだようだ。
 のちに田沢湖線(当時は国鉄生保内線)が開業すると、木材の搬出も筏流しから鉄道輸送に切り替えられることになり、神代駅横に新しい貯木場をつくり、渓谷を対岸に渡る吊り橋を架けてトロッコ軌道の線路も付け替えた。
 さて、ここまでは資料をひもといて時系列で理解できるのだが、一つ疑問なのは、人が渡るだけでも結構揺れる吊り橋を、木材を満載したトロッコ列車が渡れるものだろうか、ということ。
 これも、さらに調べてみて分かった。この生保内林用軌道では、動力車を導入したことは一度もなく、木材を積んだトロッコ一両ごとに人がつき、人力でそれを押したり、あるいは下り勾配では人がトロッコに乗り、手動ブレーキで速度を調整しながら重力に任せて走らせるという運行方法だったようなのだ。
 あの、抱返り渓谷のシンボルである赤い吊り橋を、昭和20年代までは木材を積んだトロッコが行き交っていたのだ。神の岩橋は、完成した大正15年当時、日本で最長の鉄道用吊り橋だったそうだ。
(文・写真/加藤隆悦)