文化遺産
Vol.15
「その先があったはず」
JR花輪線十和田駅

 JR花輪線の大館駅を発車する上り列車は、最終の1本を除いてすべて盛岡駅まで走る。線区の終端は好摩駅だが、列車自体は盛岡駅まで直通している。
 この路線の中間にある十和田南駅は、スイッチバック式の駅になっている。駅の南側で上り方向と下り方向の線路がY字形に分岐していて、すべての列車がこの駅で進行方向を変えてさらにその先に進む。
 しかし考えてみれば、特に地形的な制約があるわけでもないのに、なぜ十和田南駅はスイッチバック式で建設されなければならなかったのか。どうしても現在の場所に駅をつくらなければならなかったはずもなく、スイッチバックしないでそのまま花輪方向に向かう線形にした方が何かにつけて合理的だ。
 ここには、花輪線建設の“果たせなかった構想”があった。民間鉄道会社の手で大館から建設が始められた現在の花輪線は、十和田南から北線と南線に分岐する構想であった。南線は鹿角花輪を経て好摩まで抜けるルートで実現しているが、北線は結局実現を見ないままに終わってしまったのだ。
 確かにそうやって考えてみると、十和田南駅からほんの少し北側には毛馬内の中心市街地があり、そこに駅がないのはいささか不自然なことである。十和田南駅から毛馬内市街地まではほんの1kmあまり。そこで線路が途絶えてしまったことは地元の人にとっても無念なことであっただろう。
 十和田南駅は、もう一つ外観上の大きな特徴を有している。駅舎に直結するバス乗り場にかかる大きな屋根だ。乗降客も多くはないローカル駅に、この構造は大げさすぎる。これも、この駅が辿ってきた歴史の名残りだ。かつて十和田南駅は、観光地十和田湖に最も近い駅として、大勢の観光客の利用があった。列車を降りた観光客は、この屋根のおかげで強い日差しや雨風に晒されることなく十和田湖行きの国鉄バスに乗り換えることができた。
 バス乗り場にかかる大きな屋根は、往時の十和田湖観光の活況を物語っているようだ。この駅には、二つの“その先”があったのだ。
(文・写真/加藤隆悦)