随想

例えば、大沢郷。

あゆかわのぼる

 『大沢郷』という所はかなり前から気になっていた。大曲以南に出掛ける時は出羽グリーンロードを車で走る。走ると必ず大沢郷をかする。正式には大仙市大沢郷といい、旧西仙北町の一部。そばに最近あまりその名を聞かなくなった『強首温泉』がある。その大沢郷に『宿』という集落がある。この名にも興味を持っていた。“ヤド”なのか“シュク”と称ぶのか分からないが、何となく“宿場町”を想像させる。その昔、ここらあたりに街道があって、侍あるいは渡世人、商人や旅芸人が往来し、そういう人達を泊める旅籠が並び、飯盛り女がいて、などと考えると、ちょっと胸がときめいた。
 ここには『雄清水・雌清水』という毎分500Lも湧き出る水場があって、そこには時々寄って4Lボトルに汲んできて、ウイスキーや焼酎の水割りやロックを飲んでいるが、そのいにしえに遡る気持ちを行動に移さぬままに過ごしていた。くされたまぐらなのにひゃみこぎの面目躍如だ。
 それが3年前、地元の中学校のPTAから声が掛かって話に行った時、大沢郷を紹介する4つ折のパンフレットをもらい、ひろげてみると、そこにやっぱり街道があった。『旧亀田街道』といい、由利の松が崎から亀田経由で羽州街道に出る道で、亀田藩の殿様が参勤交代の折にその街道を通ったという。大沢郷は秋田藩との藩境に位置し、紛争に巻き込まれ、亀田藩が負ければ秋田藩に、勝てば亀田藩に戻るという事がよくあったらしいが、基本的には亀田藩。当時ここの人々はこの街道を通って亀田の城下町に買い物に行ったという。『宿』はしたがって“シュク”。
 そういう環境だったからだろう。大沢郷地区の椒沢集落には古い歴史を持つ番楽・獅子舞があって、『椒沢番楽・獅子舞』という。いわゆる本海流番楽・獅子舞で、これは鳥海山で修行した本海坊が夏場は山中に籠もり、冬は降りてきて麓の集落の長男に教えたのがそれ。鳥海山の麓の集落には20前後の獅子頭があり、これはたぶん世界一。椒沢番楽・獅子舞は、その亀田街道を通ってきてこの集落に定着したのだろう。
 その他、歴史上の有名な人物がいて、宇都宮15万石本多正純。徳川家康の懐刀といわれた人らしいが、何か身に覚えのない咎で佐竹家に預けられ、その時、半年ほど大沢郷に身を置いた。その場所も史跡になっている。
 これらすべて、4つ折パンフレットの受け売り。歴史音痴の私は、気になりながらもそのまま深入りせず、時々水汲みに立ち寄るだけの数年を過ごした。
 


そんな今年の初夏、虫の知らせがあった。7月21日、角館に用事があって行く途中、全く何の意識もなくグリーンロードを走り、方向は全く違う雄清水・雌清水に向かっていた。行ってみたらたくさんの人だかりで、何か神事のような儀式が行われていた。聞くと今日は清水祭りだそうだ。数軒の露店が賑わい、岩魚の掴み獲り、カラオケ大会もある賑々しさ。私はしばらく楽しんだ。
 その時ふと思い付いたのが椒沢の番楽・獅子舞。その集落がどこにあるのか知らないので、祭りにきていた人に訊くと、目と鼻の先。
 椒沢集落は、出羽グリーンロードから少し逸れたところに静かなたたずまいを見せていた。田圃の畔の草刈りをしている老人に訊くと、数年前から番楽はやらなくなった。理由は過疎と高齢化。若者がいない。しかし獅子舞は8月14日にやる。是非見にきてほしい、と言われ、その夜、聞き覚えのない声の男性からの電話。獅子舞の責任者で14日の件詳しく教えてくれ、当日早速出掛けた。獅子舞は早朝8時半から始まる。集落の小さな社にまず奉納され、やがて集落全戸を、五穀豊穣、家内安全を祈願して夜の9時頃まで回る。そんな大集落とも思えないと訝ったら、一軒一軒座敷に上がって舞い、舞い終わると酒肴が出て、小宴会。何カ所か、集落の重鎮の家では本格宴会。これでは夜まで掛かると思ったら、終盤は舞いと酒肴でへとへとヘベレケになり、
「果たして御利益があるかどうか」、と長老が笑う。私はこのまま付き合っていると、まさに命あってのものだね、と午前中で退散した。番楽はやれなくなったが獅子舞は続いている。続いている間に番楽を復活させないと絶えてしまう、と心配しながら…。
 背中に、「亀田街道祭りにもきてけれ」の声がした。
 18日は亀田街道の往時を偲び綺麗に整備された1.3kmの杉並木の道を歩く。集落の人達は老若男女、それぞれ、当時の旅人姿に扮して歩く。途中にある先人供養塔では二人の僧侶が読経。参加者も手を合わせる。それが終わると公民館で、集落総出の演芸大会。美味くて冷たいソーメンを食べてお開き。関係者は直会。私も引っ張り込まれたが、車。悔しいけれど、大盛り上がりの中でウーロン茶5杯。生きた心地しなかった。
 それにしても大沢郷は見方によっては桃源郷。強首地区を巻き込めば温泉付。やりようによっては魅力のエリアが出来上がる。しかし、学校がなくなり人が減り、限界集落の危機に怯える。
 こんな所、まだ他にもあるのではないか。