随想

果物王国、山形で思ったこと

藤原優太郎

 山形で珍しい果物の苗を手に入れた。山形大学準教授Mさんのお奨めで、南米原産の「パッションフルーツ」という果物を初めて知った。
 『牧野植物図鑑』を見ると、パッションフルーツはとけいそう科の「クダモノトケイソウ」の学名があり、ブラジル原産で、日本では沖縄各島と小笠原諸島で栽培される常緑つる性低木、果実は球状の液果。生食やジュース(パッションジュース)にするとある。
 和名の「時計草」は、まわりの花被を文字盤に、雌しべと雄しべを時計の針に見立てたことに由来し、英語名のパッションは本来の「情熱」ではなく、花芯の形が十字架に似ているところからキリストの「受難」になぞらえた意味があるらしい。
 山形県金山町生まれのM先生は、山形大学で学生たちと地域活動をする熱血漢、果物王国にふさわしい農村研究にも心血を注いでいる。僕ら羽州街道交流会の仲間でもあり、前夜、七ヶ宿で熱帯果物、パッションフルーツの詳しいレクチャーを受けた。
 今、流行のゴーヤのグリーンカーテンのように窓辺に伸び広がるこのフルーツの栽培は難しいものではなさそうだ。帰路、山形市の住宅街にある小さな農園にご一緒してパッションフルーツとブルーベリーの栽培状況を見学させていただいた。そして一株のパッションフルーツの苗木を手に入れた。これから大きく育ててみようと思うのだが、すでに青い果実が数個ついている。1ヶ月もすれば、美味しいパッションフルーツが口に入るはずである。
 Mさんはまた、山形市への途中、上山市の郊外に「紅柿」の母樹があるからと案内してくれた。山形といえば庄内柿も有名だが、紅柿の干し柿もまた評判の名物である。渋柿だが甘さは抜群という。ある農家の庭先に大きな母樹柿の木があった。大きめの葉が茂り、小さな実がたくさんついていた。いずれ、紅柿の干し柿も食べてみたいと思った。
 柿はさておき、上山のほか山形県各地ではラ・フランスという西洋梨の生産も盛んである。見た目が良くないところから「みだぐなし」(醜い)といわれたものが、今ではその美味しさから果物の女王とまでいわれている。蔵王山麓の太陽をいっぱいに浴びて育つ西洋梨はサクランボやリンゴ、スイカなどとともに山形の一大特産品となっている。
 果物の味とは直接関係ないが、面白いのは、上山の果樹園ロードを走る「ツール・ド・ラ・フランス」という自転車レースがあることである。このネーミングと発想には度肝を抜かれたもので、機会があれば一度果樹園ロードを走ってみたいと思う。
 山形新幹線の「さくらんぼ東根駅」がある東根は近隣の寒河江市などと並んでサクランボが特に有名である。東根市の東部、奥羽山脈のふもとにある直売所は大人気で、味なら日本一という我が秋田県湯沢市などは戦略面で足元にも及ばない。残念で悔しいことだが、「サクランボといえば山形県」のレッテルは認めざるを得ない。
 尾花沢のスイカでもそうである。真夏の暑い日に尾花沢まで大玉のスイカを買いに走るのはおそらく僕だけではあるまい。やはりそれだけの値打ちはある。尾花沢スイカの名を高めたのには、やはりそれなりのタネも仕掛けもあるということだろう。

 果物王国、山形の話をここまで書いて、ふと考えたことがある。最近の果物離れのことである。特に若い年代層にその傾向が顕著であるという。
 美味しい果物はビタミンCが豊富で健康にもいいのだが、この頃のライフスタイルや家族構成の変化で、大きなスイカや袋詰めのリンゴなどは敬遠されるらしい。スーパーやコンビニではそうした個食の人たちへの販売戦略としてカットフルーツを並べたところ、意外に需要が多いという。リンゴの皮をむけない若いお母さんも珍しくないという。洗わなくてもいい、皮をむかなくてもいい、すぐ食べられる。そんな便利さが主流になるのだろうか。必然的にバナナやキイウイの輸入が増えているというのもうなずける。
 これからは、コンビニへ行けば、「いらっしゃいませ、こんにちは、はい、あーんして」と果物を口に運んでくれるサービスまで出ないとも限らない。
「めんどうくさい」「食べにくい」の理由で、せっかくの美味しい果物が敬遠されることと、もう一つ、味覚の変化がある。果物は糖度だけがことさら強調され、酸味のあるものは不人気であるらしい。酸味や苦み、渋みは、確かに好みの問題ではあるが、酸っぱい、苦いは一面で食品が悪くなる前兆でもあるので、甘いものが好まれる理由になっている。それも酸味離れの原因になっているという。
 当然、生産農家や農協は「糖度」にいちばん気を配る。売り上げに影響するからだ。こうして甘いイコール美味しいという風潮が広まる結果になった。
 東根のサクランボである。一番人気(高価)の佐藤錦とナポレオンの2種類を買って食べてみた。確かに佐藤錦は甘くて美味しいが面白みがない。ほどよい酸味のあるナポレオンのほうが、自分では美味しいと思った。
 果物でも野菜でもそうだが、美味しいのは、商品になりにくい規格はずれの、いわゆるわけありの美味しいものを生産農家自身が食べている現実がある。
 美味しいものの評判は口コミでたちまち広がるが、その一方で、良くないほうの風評の広がりもまた早い。
 確かなのは、美味しいものは自分で生産して直接食べるという、本来のあり方を取り戻すということではないだろうか。そんなことを山形で学んできた。