随想

潮瀬崎の津波石

永井登志樹

 前回のこの随想欄で、別の場所から竜巻や嵐などで運ばれてきたと伝承されている不思議な岩石を紹介したのだが、今回はその続編として「津波石」の話をしてみたい。
 津波石とは、津波によって陸上に打ち上げられた巨石のこと。大きなエネルギーを有した津波の押し波は、水圧で海中の巨石などを巻き上げ、陸地の内部まで運ぶことがある。よく知られているのは石垣島や宮古島など沖縄の先島諸島の津波石で、海岸や台地に多数の大岩が点在している独特の景観は、サンゴ礁が石化したサンゴ石灰岩が大津波により運ばれたものといわれている。サンゴの岩塊は比較的もろく比重が小さいので、波に運ばれやすいのだという。
 だが、津波石が打ち上げられるのは、サンゴ礁に囲まれた先島諸島のような亜熱帯の島々ばかりではない。岩手県三陸地方の田野畑村羅賀地区には、1896年(明治29年)の明治三陸大津波で運ばれてきた津波石がある。私は昨年7月に現地でこの石を実際に見たのだが、推定20トンもの大岩が海岸から300メートル以上離れた標高約25メートルの場所にあったのには、驚いた。一昨年3月の東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)では、羅賀地区の住宅150軒のほぼ半数が全壊し、9名の死者が出た。この時の津波は再びこの津波石まで到達したというから、波高が25メートル以上あったことになる。
 そしてもっと驚いたのは、ハイペ海岸という小さな入り江で見た東日本大震災による新たな津波石。写真で見ればわかるように、大人の背丈の倍以上はある巨石だ。案内してくれた田野畑村役場の方によれば、羅賀地区の津波石とは違って海中にあったものではなく、波打ち際から15メートルほど移動したのだというが、それでもあらためてこのたびの津波の強大な力を知る思いがした。

 ところで、東北地方では三陸海岸だけでなく、最近になって秋田県沿岸でも津波石の存在が注目されているのをご存じだろうか。場所は男鹿半島南岸の潮瀬崎。ここの岩場に点在する岩塊を津波石だとしたのは秋田大学名誉教授(地質学)の白石建雄先生で、一昨年12月に福島市で行われた日本地質学会東北支部会で初めて公に発表した。
 潮瀬崎はいつ行っても大勢の釣り人が糸をたれている磯釣りのメッカだが、怪獣のゴジラにそっくりだと話題になったゴジラ岩があることでも知られ、2年前に日本ジオパークに認定された男鹿半島・大潟ジオパークのジオサイト(地質や地形を観察できる場所)のひとつでもある。
 ここに立ち並んでいるゴジラ岩などの岩石は、火山灰や礫(岩石のかけら)などの火山噴出物が固まったもので、表面がごつごつざらざらして黒っぽい火山礫凝灰岩で主に構成されている。ところが、波で削られて平らになった岩場をよく見ると、明らかに周囲の岩石と種類が異なる赤みを帯びた岩塊が十数個転がっているのがわかる。写真はその中でも最も大きいもので、高さ約3メートル、幅5メートルにもなる。これらの巨石は火山礫凝灰岩の地表とはつながっておらず不安定に載っているだけなのだが、昨年4月に襲来して大きな被害をもたらした爆弾低気圧(猛烈低気圧)の暴風波浪でも全く動かなかった。そこで白石先生は「暴風波浪よりもエネルギーの大きい津波によって、別の場所から運ばれたと考えるのが自然」、つまり潮瀬崎の巨大岩塊は津波由来の可能性が高いと指摘したわけである。

 では、いつごろの津波で運ばれたのだろうか。現時点でははっきりわかっていないが、白石先生は少なくとも2000年以上前であろうとし、対岸の鳥海山の噴火で山なだれが起き、それが津波を引き起こしたということも考えられるとしている。
 津波は東日本大震災のような巨大地震だけでなく、海底火山や海底地すべり、火山噴火による山体崩壊によっても引き起こされることがわかっている。山体崩壊による津波で最も有名なのは、1792年(寛政4年)に起こったいわゆる「島原大変肥後迷惑」だ。肥前島原(今の長崎県)雲仙岳の火山性地震と、その後の眉山の山体崩壊(島原大変)により、島原半島や対岸の肥後(今の熊本県)を襲った津波(肥後迷惑)による災害で、津波による死者は島原で約1万人、肥後で5000人に上るといわれている。
 1741年(寛保元年)に起こった北海道の渡島大島の噴火による山体崩壊でも、津波で1500人以上の犠牲者が出た。江戸時代中期の文人・菅江真澄は、津波で亡くなった父親の供養をする老女が語る50年前の惨状を、北海道を旅していた1789年(寛政元年)の日記に書き留めている。
 秋田県で発生した地震が記録に残っているのは830年(天長7年)の天長地震以降のことで、歴史時代以前の地震・津波については、ほとんど何もわかっていないのが現状だ。鳥海山の山体崩壊が起きたのが2600年〜3000年前。潮瀬崎の現在の地形は、5000年〜6000年前から天長地震までの間にできたといわれる。そうした時系列に加え、海をはさんで鳥海山と向き合っている男鹿半島南岸は、大津波が起きれば直撃する位置にあるといえる。これらを考えあわせると、潮瀬崎の巨大岩塊は鳥海山の山体崩壊による大津波で運ばれたとする説が信憑性を帯びてくる。
 「秋建時報」の読者の皆さんのなかには、釣りを趣味とする方もいらっしゃると思うが、潮瀬崎への釣行の際には、ゴジラ岩だけでなく「過去の大津波の証言者」といえる津波石にも是非注目していただきたい。


岩手県田野畑村ハイペ海岸の津波石


男鹿市潮瀬崎の津波石