随想

文学の世間話をしよう

あゆかわのぼる

 私事で恐れ入るが許していただいて。
 春の宵、千秋公園の茶屋に六人ほどの中年男女が集って酒を飲んだ時のことを話そう。
 そのメンバーの中に中年後期のジャーナリストがいて、その人が突然、
「あゆかわさんのあの小説にはショックを受けたナァ」
 と言った。メンバーがきょとんとして私を見た。私も何のことか分からずポカンとしていると、彼は続けた。
「地元の週刊新聞に連載された、アノ小説ですよ」
 思い出した。(そうか、そんなことがあった)
 彼はさらに、
「地方にはたいてい小説の同人雑誌が何誌かあって、小説家を目指したり趣味で書いている人がそこに作品を発表する。しかし、一般の人が読む機会は余り多くない。読む機会があっても変に難しかったりひとりよがりだったりして付き合いにくい。あゆかわさんのあの小説は、いい意味でも悪い意味でもそういう作品とは趣を異にしていた。毎週待ち遠しかった」。
 ちょっと冷や汗をかき、せっかくの酔いが少し醒めたが、思い出した。『向い風』というタイトルだった。帰宅してスクラップを捲ってみると、1995年9月29日号から1996年11月22日号までの1年2か月ほど連載し、2001年3月にイズミヤ出版から単行本として出版されている。それ程売れず、すでに絶版になっているだろうが、帯のキャッチコピーが“降格 左遷 リストラの嵐 その陰にうごめく男と女”という禍々しいもので、「企業戦士ザンコク官能物語」とサブタイトルがついている。セックス描写もある、虚仮脅しもはなはだしい小説である。
 中年後期のジャーナリストは、その頃、転勤で初めて秋田に来て、その小説と出遭い、それまでの新聞記者として見てきた“地方の小説家志望の人が書く小説”という既成概念から外れたエンターテインメントと、地方都市の企業とかビジネスを知る上で参考にもなった、というのである。
 当然それは読み過ぎだが、他の人たちはその小説を知らないようだし、なによりも、私がかつて小説を書いていたということすら知らない。怪訝な顔である。
 私は40年くらい前、小説を書くことに興味を持ち、地元の小説同人雑誌の門を叩いた。そしてその雑誌に原稿用紙30枚くらいの短編小説を3〜4篇書いた。しかし、とても小説とはほど遠く、手に負えない世界だとあきらめて、やがてこっそり抜け、詩の傘の下に戻った。
 ところがその小説の同人雑誌の先輩が週刊新聞の編集長になって、時々私に雑文を書かせてくれ、これがきっかけで、若い女性記者が、ある時、
「小説を書いてみないか」
 と誘ってくれた。何人かの書き手がいて代わり番こで1回5枚、5回くらいの小説を書いていた。私も3本ほど書いたが、やがて、
「1年くらいの長編はどうですか」
 ということになった。

 当時私は、サラリーマンを卒業し、フリーライター宣言をしたものの、そんなに世間が甘いものではなく、気持ちが苛つき、時間を持て余していたので、何の構想もなく飛びついたのだった。だからろくなものが書けるはずがなかった。手っ取り早いのが自分の身の回りや過去を人目に晒すこと。作家がよくやる手だ。財産は長いビジネスマン生活。それを下敷きにして妄想を盛り込み、あることないこと、考えてもいなかったことを、ひたすら一週5枚、せっせと原稿用紙の升目を埋め続けた。それが57回。そして頭の中が空っぽと相成った。
 もちろん、これが小説家のスタートとは思い上がらなかった。下敷きが己の過去だから、登場する人や場所が実在とおぼしきものとかなり重なった。書いている途中でかつての職場の先輩から「やばくないか」とイエローカードを出されることも1度や2度でなかった。
 だから、17年も前のことなどすっかり忘れ、いや、忘れようとし、以来、小説を書きたいとも思わず、ひたすら詩、口に糊するためにエッセイ、いや雑文、ルポなどを書き、放送メディアにしゃっ面を晒し続けてきた。
 小説は読むだけ。詩を書いているにしては読む本の約六割が小説。これは余り自慢できない。
 数年前に、小説を書いている男性の友人ができた。この人は地方紙の文学賞を受賞しているし、同人雑誌にも所属している。将来を嘱望されている人なのだが、最近書いていないらしい。その理由の一つが、所属している雑誌の仲間が高齢化して作品が書けない。若い人は入ってこない。したがって雑誌が出ない。雑誌に発表するのが大きな目標だから、出なきゃ書かない。この悪循環らしい。言われてみれば今、秋田県内の小説の同人誌は活動しているのかしら。その方面には疎いが、新聞などに紹介されているのを見たことがない。同人雑誌の抱えているもう一つの問題は、大半が私小説で、身の周りのことを題材にして書くから、時と場合によっては、親戚縁者や友人知人に迷惑を掛けたり怒鳴り込まれたりする。
 さらに言えば、出費がかさむ。世間の評価がある訳ではないから、女房の顔色を伺うのに疲れる。
 なによりも、隣の各県に比して、秋田出身の小説家が余り小説を書かない。ここが頑張ってくれれば秋田県も元気になるんだがナァ。