随想

爆弾低気圧と風台風

永井登志樹

 先月上旬の“暴風”は凄まじかった。
その日は提出期限が迫った仕事を夜半過ぎまでしていたら、停電。しかたなく床についたが、築年数が半世紀近くになったボロ家が強風でギシギシ音をたてて揺れ、恐怖感でなかなか寝つけなかった。
 秋田県だけでなく、ほぼ日本列島全域に台風並みかそれ以上の強風や大しけをもたらしたこの嵐は、短時間で急速に発達する「爆弾低気圧」だった。
 低気圧は寒気と暖気がせめぎ合い、交じり合うことで発達する。その時、寒気と暖気の温度差が激しいほど、大きなエネルギーとなる。そのなかで1日に24ヘクトパスカル以上も下がるものは特に「爆弾低気圧」と呼ばれ、暴風や高波など激しい現象を引き起こす。今年は寒かった冬の寒気が強いまましぶとく残っており、そこに春の暖気が南から入るため、このような現象が起こりやすかったのだという。
 ただ、「爆弾低気圧」ということばは通称、あるいは俗語で、正式な気象用語としては用いられていないようだ。だが、今回の低気圧は一日で38ヘクトパスカルも下がったというから、まさに強力な「爆弾」ということばが似つかわしい。
 過去の事例としては、昭和29年(1954年)5月に日本海で猛発達した低気圧の影響で漁船が多数遭難し、約670人が死亡・行方不明となったのも、「爆弾低気圧」によるものだったという。私は台風ではなく低気圧によって、過去にこれほどの大量遭難があったことを、今回の関連ニュースで初めて知った。この遭難事故をきっかけに、4月下旬から5月ごろにかけ、強風や落雷をもたらす低気圧を「メイストーム(5月の嵐)」と呼ぶようになったともいわれる。
 昭和29年の遭難事例でもわかるように、「爆弾低気圧」は風だけでなく波の破壊力も凄まじい。今回も男鹿半島の南海岸から西海岸にかけて、いたるところでその爪跡が見られた。10メートルもの高波が堤防や波食台を越えて押し寄せ、県道はところどころでアスファルト舗装がはがれ、決壊したところもあった。
 加茂青砂や戸賀地区ではでは公衆トイレが損壊し、観光シーズンを前に使えない状態になったほか、男鹿水族館GAOは被害額が約1億4000万円に上ると発表された。船や定置網の損傷もひどく漁業関係はかなりの被害を被ったようだ。秋田県全体では、この「爆弾低気圧」による農林水産の被害は合わせて11億541万円に上るという(県災害対策本部/4月11日現在)。
 わが家でもちょっとした被害があった。風で自宅の門が外れて愛車に当たり、フェンダーがへこんでしまった。まあ、農家や漁師さんたちに比べたら、これくらいのことで済んだのは、幸いだったといえようか。

 今回の「爆弾低気圧」は、低気圧なので動きが遅く、長時間にわたって強風が吹き荒れたのが特徴だったが、風にこれほどの恐怖を覚えたのは、今からおよそ20年前、平成3年(1991年)9月の台風19号以来のような気がする。
 19号の破壊力も凄まじかった。広葉樹が一瞬にして塩風で枯れ、大木が根元から倒れた。特に名木、古木といった樹に被害が多かった。男鹿真山神社の杉、旧協和町唐松神社の杉、本荘市新山神社の杉、森吉山の桃洞杉、矢立峠の風景林、秋田市赤沼の三吉神社のひめこ松、手形大沢の扇の大松……数えあげたらきりがないほど。先人が守ってきた美しい景観がすっかり変わったところもあった。

 19号は別名「りんご台風」。収穫前のりんごが落ちて、青森県津軽のりんご農家は甚大な被害を被った。この台風のあと、たまたま温泉取材の仕事で津軽を旅し、折れたりんごの木の下に山のように積まれた落下りんごをいたるところで見た。この台風以降、風除けの防風ネットを設置する果樹園が増え、風対策の重要性が認識されるようになった。
 風台風といえば、平成16年(2004年)8月の台風15号も記憶に新しい。この台風は秋田県沖を通過した際に凄まじい強風で海水を巻き上げ、沿岸部の樹木や水稲に吹き付けた。そのため塩分で葉や穂の水分が奪い取られ、枯れてしまい、それまでの緑の山々が一瞬にして紅葉を通り越して、初冬の風景に変わってしまった。
 塩害、気象学的には潮風害(ちょうふうがい)と呼ばれる現象は、台風19号の時にも見られたが、15号はそれにも増してひどく、男鹿半島海岸部の水田の稲穂は白く変色して枯れ、ほぼ全滅状態であった。
 その年(2004年)の秋田県の作況指数は86(県中央部は71)という著しい不良で全国最低値であった(平年作=100)。86の数値は全県の平均値で、沿岸部の由利地方や男鹿・南秋田郡などでは収穫皆無のところもあったようだ。
 台風による人的・物的な被害はほとんどなかったので、中央のマスコミなどでは報じられず、あまり話題にならなかったが、水稲の被害総額だけでも60億円にのぼったというから、15号は近年まれにみるたちの悪い台風だったことがわかる。
 この台風が襲来してから1ヵ月ほどあとに、散歩の途中に近くの公園を通ったらサクラが狂い咲きしていたのを見た。ほとんどの広葉樹は塩害で葉を落としてしまったのだが、根が養分を送ってもそれを受け取るはずの葉がないため、養分がつぼみに回り、花を咲かせたのか。それとも、落葉しても気温がまだ高いため、桜の木が「春になった」と勘違いして咲いてしまったのか。枯枝に花が咲くとはこのことかと目を疑ったものだった。
 こうした人間の智が及ばない自然現象や脅威を前にすると、自然に対する畏怖の念さえわき起こってくる。



「爆弾低気圧」の高波により決壊した県道
(男鹿市潮瀬崎)