随想

もったいない −アナログ人間の戯言−

あゆかわのぼる

 3月11日に反射式石油ストーブを2台買った。テレビが地デジ化した時新しいのに買い換え、その時ついたエコポイントで何を買うか判断がつかぬまま期限切れ間近になったので、東日本大震災を、さらに自らの記憶に刻みこもうと、その日を選んで、震災で改めて見直された反射式石油ストーブを買うことにしたのだ。
 我が家は居間にファンヒーター、私の仕事部屋にエアコンがついているが、他に3台の反射式石油ストーブがあって、特に私の仕事部屋は、冬はエアコンをほとんど使わず、そのストーブに頼りきっているし、居間もファンヒーターを18度に設定して、続き部屋の食堂に石油ストーブを置いて灯油を節約している。しかし、そのうちの2台は20年選手で、すでにポンコツの域。
 テレビは買い換えるつもりではなかった。でも、時々画面が暗くなったりするので電気屋さんに診て貰った。真空管を取り替えるか、どこかの接触が悪くてハンダ付けをしなければいけないのかもしれない、と思ったからである。
 電気屋さんが点検して、「修理は無理ですね」と言う。いろいろ説明を受けたが、今の電化製品はほとんどの場合、真空管の交換やハンダ付けなどの部品対応はないらしい。仕方なく買い換える事にした。画面のサイズなどよく分からないが、今までのテレビは旅館やホテルなどの部屋にあるものと同じくらいの大きさだったのが、電気屋さんの奨めるのはその何倍かの大きさだった。私が「それは大きすぎる」と抵抗すると、併せて14畳の居間と食堂を見渡して、「このお部屋ならこれが標準で、他ではもう一回りも二回りも大きい画面のものをつけます」。そう言われて、仕方なく従った。
 その、今の電化製品にはほとんど部品対応という事はなくなった、という事について。
 私はいまだに原稿は、最初は原稿用紙に4Bの鉛筆で書き、推敲してから求められる字数と行数に合わせてワープロで打ち、さらに推敲を重ねて完成させる。パソコンはあるが私は原稿を書くことは出来ない。所謂“あるだけ人間”。
 そのワープロだが、かなり前から画面が赤黒緑の篠つく雨で、その雨を掻き分けるようにして打つ。買った量販店の近くに、その店付属らしい修理専門の店があったので修理に持ってゆくと「買うくらいかかりますよ」という。冗談じゃないので帰ってきて使っているうちにパソコンの普及を促すようにワープロの販売が中止になった。たぶんそれと同時だったが、ワープロについていたEメール機能もなくなり、私は「詐欺ダッ!」と叫んだ。
 ポンコツ寸前のそのワープロにまだ世話になっている。
 FAX付の電話は比較的早くつけて今ので3台目である。
 最初のものは薄いロール状の紙を使うもので、雑誌社などから送られて来るゲラに赤を入れて送り返す時になにかとやりにくいのでコピー用紙が使える機種に換えた。もったいなかったが仕方がなかった。

それがなぜ今3台目なのかというと、昨年だった。依頼を受けた雑誌社に出来上がった原稿をFAXすると、折り返し電話が来て、送られて来た原稿が灰色の斑で読めない、と言う。原因が分からない。嫁ぎ先の娘に電話してやり取りしてみたら、やっぱり駄目だと言う。買った量販店に確認すると、送る部分の所に埃がたまっている可能性があるから、それを濡れティッシュで拭き取って見てくれ、と言う。やり方を聞くと簡単で、拭き取って娘ともう一度やり取りすると正常になった。
 ところが数日後、今度はFAX機能が全く働かなくなった。今度は配線のトラブルだと思ってNTTに電話すると、大きな工事用の車が来て、外の電柱から電話機の所まで念入りに点検してくれたが、そこには異常がなくて、「電話機ですね。電話機に水がかかったことはありませんか」と言う。記憶にない。電話機は窓際のサイドテーブルのような書棚の上に置いてある。窓を開けたままにしている間に雨が降ってくる事もあるが電話機に降り注ぐ事はない。私は恐縮してお礼を述べて帰って貰った。そして、修理して貰おうと買った量販店に持って行くと、「ここには修理部門がないので、メーカーに送ってやる事になる。出来て来るまで速くても1週間はかかる。故障の具合によるが新しいものを買うくらいかかる事もあるので、どれくらいかかるか見積もって貰ったらどうでしょう」と言う。これは果たして親切なのか。あるいは完全な“売りっ放し主義”なのではないか。なぜか腹が立ってきて、そのまま帰り、別の量販店で新しいのを買って来た。
 先日、とんでもない失敗に気付いた。例の「電話機に水がかかった事がありませんか」とNTTの人に言われた事を、量販店に電話機を持って行った時は興奮していたし、すっかり忘れていたが、故障の犯人は“埃を拭った時の濡れティッシュ”だったのではないか。今頃抗議に行っても認める事はないだろうし、何よりその電話機はすでに処分してしまった。
 これらいずれも明らかに、使い捨てだけでなく、“売りっ放し時代”の証明。たぶん列挙した電気製品だけではないだろう。
 こういう何でもかんでも使い捨て、売りっ放しというのを文明の進化だとし、便利で住みよい時代だとすれば、きっとそれはどこかが間違っている『不幸な時代』で、そんな時代に私たちは生きている、という事だ。
 真空管を取り替えたりハンダ付けをすれば電気器具が蘇る時代を懐古している訳ではないが、一か所が駄目になればすべてが機能しなくなるらしいデジタル、コンピュータ化の時代に生きている事が本当にいいのか、考えてみる時かもしれない。
 新しい反射式石油ストーブを2台買って、たぶん今度来る冬は、2台のポンコツの寿命寸前のストーブのうち1台、あるいは2台を処分する事になるだろう。20年前後付き合って来て、気持ちは単なる「もったいない」だけではなく、何となく別れるのが寂しい。切ない。つらい。
 せめて、残り少ない春寒、私たちを暖めて貰おう。
 蛇足だが、我が家の電子レンジは回らない。故障ではなく、かなり昔、まだ電子レンジが回らない時代に買ったものだ。愚妻の知り合いたちはからかって笑うようだが、これは我が家の自慢で、日常生活に充分活用していて、何の不便もない。