随想

奥飛騨、真昼の夢まぼろし

藤原優太郎

 テレビを見ていると気になることがある。何を今さらとも言われそうだが、若い人たちの妙な言葉づかいが気になってしょうがない。
 とくにスポーツ選手や芸能人、中には若いアナウンサーでさえ見受けられるのだが、誤ったていねい語とぞんざい語が混在してきちんとした日本語が使えていない。これは重要な問題である。
 会話でも文書でも、「ですます調」と「である調」のミックス乱用は職業柄、気になることだ。
 どのようなことかといえば、前記のような若い人たちの話し方を聞くと、たとえば、「一生懸命頑張るので、応援よろしくお願いします」などである。「お願いします」はちゃんと言えるのに、「頑張るので」をなぜ「頑張りますので」と言えないのだろう。有名な誰かがそういうと、それが正しいかのごとく右ならえしてしまうのは一種の流行かも知れない。
 スケートの浅田真央ちゃんなら可愛いからまだ許せるが、サッカーやプロ野球の選手がそう言うのを聞くと、まさにこの野郎という気分になってしまう。
 敬語の誤用、乱用も気になる。「られる」「される」さえ使えば立派な敬語と思ったら大間違いで、これも非常に耳障りだ。正しい日本語の使い方は教育の基本と思うのだが、これもどうやらテレビの影響が大きいらしい。
 昨年夏、穂高岳に登るため奥飛騨に行った時の体験である。下山後、上高地から新穂高温泉へ戻るのにバス移動をした。途中、平湯でバスを乗り換えた時、一人の小学生に出会った。
 多くの登山客に混じって乗車した女の子は土地の子らしかった。多分、ほとんどが他県からの登山客と思われる中、その人たちがみな乗車するのを待ってその子は最後にバスに乗った。
 その子と最後部の空席に並んで座った。ジーンズの短パンにタンクトップの夏着、細い腕と脚は小麦色に日焼けし健康色そのものである。
 ぼくが「何年生?」と問いかけると、
「4年生です」とはっきりした答えが返ってきた。可愛いだけでなく、語尾の「です」の響きにぼくは単純に感動した。

 利発そうな少女は平湯から上流にある栃尾の友だちに遊びに行くのだという。このようにきちんとした言葉づかいの子には最近出会ったことがない気がした。それだけ新鮮なおどろきだった。
 会話をして気づいたのだが、今どきの子供らしくなく話し方が実にしっかりして、きちんと相手の顔、目を見て話すのが意外だった。おじさんは少したじろいだ。
 ぼくの問いかけに答えたあと、足元のザックを見て「山登りですか?」と尋ねられた。
「あたしも昨日、乗鞍岳に行って来たんです」。
 これもきちんとした言い方である。
「楽しかった? これからも山登りするの?」と尋ねると、うーんと少しためらったあと、「登りがちょっとつらかったからわかりません…。今日は妹が上高地に行ってるんですよ」
 山深い奥飛騨の少女は明日から学校の友だちと富山県の日本海に海水浴に出かけるというなど、けっこう会話が弾んだ。
 素足の網サンダルで、恥じらいながら前席の背もたれを蹴るような仕草はやっぱり子供らしい。指先にネイルカラーのおしゃれをしていた。それに気づくとはにかむような笑顔が返ってきた。
 少女は途中でバスを降りた。そこには友だちが迎えに来ていて、二人並んで手を振りながらバスを見送ってくれた。
 話はただそれだけなのだが、気持のいい日本語の会話ができたことを伝えたかった。心地よい会話にはやはり満ち足りた余韻が残らなければならない。奥飛騨で出会った一人の少女の面影は、暑い真夏の夢まぼろしだったかも知れないが、何か爽やかな冷風が吹き抜けたような気がした。
 しばらく経って、女子サッカー「なでしこジャパン」を観戦した時、なぜか奥飛騨の少女の顔が人気者の川澄奈穂美選手にそっくりなのを見ておどろいた。少女の名を聞くことはしなかったが、こんなこともあるんだなあ。