文化遺産
Vol.30
太平湖[たいへいこ]
北秋田市奥森吉

 秋田県にある湖として、十和田湖や田沢湖を知らない人はいないだろうが、太平湖という湖の存在を知らない人は少なくないのではないだろうか。名前は知っていても訪れたことがあるという人はそう多くはないかもしれない。
 写真で見ると、遊覧船がすし詰め状態でかなりの人気ぶりがうかがえるのだが、観光客やハイカーでにぎわうのは、紅葉シーズンのごくわずかの期間のみである。なにしろ、あまりの雪深さのため遊覧船乗り場までの道が開通するのは6月に入ってからで、秋には間近に迫る冬に備えて10月末日で早々に遊覧船の運航を終えてしまう。一年のうちのわずか5ヶ月しか訪れることのできない場所なのだ。
 遊覧船の乗客の目当ては、太平湖そのものではなく、その先にある小又峡だ。
 秋田県最後の秘境と称される小又峡は、1.8qの遊歩道沿いに連なる大小の滝や甌穴の景観がたいへん美しく、むしろ他の観光スポットに勝るとも劣らない県内第一級の景勝地といえるのではないかと思う。遊覧船に乗らなければその小又峡に足を踏み込めないというのも、まさに「最後の秘境」の名にふさわしい。
 太平湖は、昭和28年の森吉ダム(新しくできた森吉山ダムの上流に位置する)の完成によって生まれた人造湖である。「なんだ、人の手が入っていたのか」と思わなくもないのだが、その人造湖の出現によって「最後の秘境」を探訪することができるようになったというのも、いささか皮肉めいたことではある。
 遊覧船に乗ると、とうの昔に廃線になった森林鉄道の朽ちた橋脚なども見ることができる。クルマで行くのも大変なこんな山奥にまで、かつて線路が引かれていたというのも驚きである。
(文・写真/加藤隆悦)