随想

アポイ岳に登る

永井登志樹

 2カ月ほど前、北海道の洞爺湖町で開催された第2回日本ジオパーク全国大会(洞爺湖有珠山大会)に参加したついでに、北海道東南部の様似町にあるアポイ岳ジオパークを訪れ、アポイ岳(810.2m)に登ってみた。
 今から約1300万年前に北米プレートとユーラシアプレートが衝突したことによって、日高山脈が形成された。それに伴って、地下約60キロの上部マントルが押し上げられて地表に露出したとされる。この上部マントルを構成しているのが「かんらん岩」という岩石。アポイ岳は山全体が、通常は地下30キロメートル以下の深い場所にしか存在せず、本来地表にあるはずのないこのかんらん岩でできている。
 ビジターセンターのある登山口から5合目までは、森の中を歩く。背後から人の呼吸音が近づいてきたと思ったら、背の高い外国人が短パン姿で登山道をジョギング?しているのだった。元気な人もいるものだ。
 山小屋のある5合目からアポイ岳山頂が望める。アポイという一度聞いたら忘れられない山の名は、アイヌ語の「アペ(火)・オイ(多い所)・ヌプリ(山)」が略されたもので、「大火を燃やした山」という意味になる。アイヌの人びとにとって大切な食料であった鹿が授かるように、火を焚いてカムイ(神)に祈ったという伝説に由来するという。
 5合目からは、山頂がすぐ手の届きそうなところに見えるが、ここからかんらん岩が露出した急坂を登り、いったん尾根に出てから稜線をたどっていくので、山頂までは結構な距離がある。標高800m足らずなので、山登りになれた人にとっては低山の部類に入るかもしれないが、車道などはないため、少なくとも8合目まで車で行ける秋田駒ヶ岳(1637m)などよりは、ずっと手強いはずだ。
 登山道のかたわらにミヤマワレモコウ、ヒダカミセバヤ、コハマギクなど、秋田ではほとんど見たことのない花が咲いている。秋のアポイ岳を代表する花であるコハマギクは、海岸の岩場でも群落が見られた。
 超塩基性というかんらん岩の特殊な土壌条件と、日高山脈の南端近くの海岸にそびえるという気象条件で、アポイ岳には固有の植物が多く生育し、花の山として知られている。ヒダカソウなどの高山植物群落は国の特別天然記念物に指定されていて、昔も今もジオパークとしてではなく、高山植物目当ての登山者が圧倒的多数を占めるらしい。
 以前はあまり植物に興味がなかったが、ジオパークに関わる仕事をするようになって、鉱物だけでなく植物へも関心を持つようになった。それには、多くの人がそうであるように、デジタルカメラで得た接写の楽しみも深く関わっていると思う。おかげで名前も知らない花の画像が、整理されないままパソコンを占領している。
 6合目から7合目にかけてかんらん岩の岩場が続く。このあたりでは、さまざまなタイプのかんらん岩を観察できるほか、はんれい岩とかんらん岩が層状に重なっている露頭も見られる。はんれい岩もかんらん岩と同じく深成岩の一種。男鹿半島ではほとんど見られないので、2つの岩石がこうして積み重なっているのは、本当に珍しい。
 7合目を過ぎると「馬の背」と呼ばれているアポイ岳西方の尾根に出る。ここから360度の視界が開け、アポイ岳山頂に向かって左側(北側)尾根には、三角形のピークの吉田岳、さらにピンネシリ(958.2m)が連なり、その背後に日高山脈南部の脊梁が見える。これらの山の斜面や稜線のところどころにかんらん岩が露出しているのが、はっきりわかる。この稜線は、「幌満かんらん岩体」と呼ばれている厚さ約3000mものかんらん岩の岩体の最も上の部分にあたるといい、この山塊全体がかんらん岩でできているということが実感される。

 8合目から山頂までは、ごつごつしたかんらん岩の岩場の連続で、登山者に踏まれて岩の表面が削られ、ツルツルになったものもある。かんらん岩の主要鉱物であるかんらん石の学名は、色合いが植物のオリーブに似ていることから、「オリビン(olivine)」といい、「かんらん」はその和訳だという。その名の通り、黄みを帯びた緑色、あるいは濃い緑色の美しい岩肌の登山道を行くのは楽しい。
 アポイ岳のかんらん岩は上部マントルにあったままの状態を保ち、とても新鮮な状態で地表に露出しているのだという。そのため、地球内部の状態を知る上で学術的に貴重な場所として世界的にも注目され、世界中から研究者がやって来る。私が泊まった町営の宿にも、白人の研究者グループが同宿していて、国際色あふれにぎやかだった。おそらく、さっき登山道を走っていた人も、その中のひとりだろう。
 急な岩場を息を切らして登っていくと、吉田岳、ピンネシリの北尾根が間近に迫ってきた。振り向くと、「馬の背」の稜線の向こうに様似の町と太平洋が広がっていた。この地形はまさにアポイ岳ジオパークのテーマである「マントルからのメッセージ」そのもののように思える。
 アポイ岳の山頂は不思議なことにダケカンバに覆われていた。普通、山の植生は標高が高くなるにつれて、広葉樹林帯−針葉樹林帯−ダケカンバ−ハイマツと移り変わっていくのだが、ここではハイマツ帯からダケカンバ帯に逆戻りしている。なぜだかわからないが、アポイ岳の植生の不思議のひとつだ。あまり視界がきかないが、それでも樹林の間から太平洋の海原と襟裳岬が望めた。
 登り約3時間、下り約2時間。標高は低いが、車道もなく、サブルートも現在閉鎖されているため、かんらん岩や高山植物を観察しながらゆっくり登ると、往復5時間は要する。普段、運動らしい運動をしていない私のような者には、思ったよりきつかった。でも、それだけの価値のある山。高山植物が咲きほこる春から初夏にかけて再び訪れてみたいものである。
 男鹿半島・大潟ジオパークとは全く異なる地質、岩石、植物。そして景観。とても刺激的で勉強になったジオの旅であった。

かんらん岩が露出したアポイ岳の稜線