随想

放射能のツケは誰が払う?

藤原優太郎

 林でツクツクホウシが鳴き、ススキの穂が揺れ、アカトンボが舞い始めると秋だなあと思う。朝夕の冷え込みが間違いなく季節の移ろいを感じさせる時期になった。
 そんな初秋、横浜市から遅い夏休みをとった若い家族が、私のいる山の中に遊びに来てくれた。もう秋だから避暑というわけでもないのだが、自然に抱かれて4日ほど過ごしていった。
 日中の暑さも嘘のように、夕方になると吹き抜ける風はまちがいなく秋のそれだ。肌寒さを通り越して「寒い!」というくらいである。
 外で炭火を熾し新鮮なサンマを焼いて食べた。サンマはジュウジュウ油を滴らせながらほどよく焼けてゆく。
 さてこのサンマの産地はどこだろう。これまでだと三陸の気仙沼か釜石というところだろうが、ついそんなことを考えてしまった。買ったサンマは結構値段が高かった。

 3.11の東日本震災と原子力発電所事故のあと、太平洋沿岸の漁業事情は大変な事態に直面している。もちろん漁業だけではない、農産物から酪農製品まで、風評被害を含めて食料事情が大きく様変わりしている現状に唖然とする。
 原発事故に対し、当初、日本政府は、「健康に直ちに影響するものではない」とし、学者先生たちもそれに追随した。半年も経った今では、さすがにそんな能天気なことをいう人もいなくなった。直ちに影響はないというなら、いつになったら影響が出てくるというのだろうか。
 子どもの頃、太平洋のビキニ環礁でアメリカが水爆実験を行ったとき、日本のマグロ延縄漁船の「第五福竜丸」が被爆した事故を知る人はもう高年齢の人だけになった。その頃は、雨が降って放射能に触れると頭が禿げるとか、「原爆マグロは食うな」などもっぱらのうわさだった。「黒い雨」という映画も話題になった。唯一の被爆国である日本の広島、長崎の原子爆弾は無論、スリーマイル島やチェルノブイリの原発事故が世界を震撼させたことはまだ記憶に新しい。



 原子力発電というものにこれまで私たちはあまりに無頓着だった。現代的な生活の中で、便利さや快適さだけを享受し、核や放射能の怖さなどは、意識外のこととしていたような気がする。
 電気をはじめ、化石エネルギーなどの無駄づかいがどれほど膨大なものだったか、すべて他人事のように、ほとんど誰も意識して来なかったのではないだろうか。
 福島での原発事故のあと、どうしても腑に落ちない、理解できないことが頭から離れない。被災地では学校や幼稚園の土壌汚染が問題になり、その除去と徐洗が当たり前のように行われている。剥ぎ取った表土や洗浄した水など(原発の冷却水もそうだが)はどこへ行くのだろうという単純な疑問である。
 物理学の基本である「エントロピーの法則」を含む「熱力学の法則」によれば、「あらゆる物質の総量は一定で、どのように形を変えても、無用なものになり本質的な質量は変わらない」という。つまり、汚染された土壌や水は姿かたちを変えこそすれ、絶えずどこかに存在するということである。仮に一時的に目に見えないところに処分したとしても、その悪者は地球上のどこかに必ず潜んでいるということである。
 それが放射性物質や核廃棄物となれば、問題はさらに深刻で、これはもはや人知を超えており、科学の力などでは絶対というほど解決できないといっても過言ではないだろう。こんな悩ましい問題を、「直ちに健康に影響するものではない…」などと、政治家はなんと無責任なのだろうと思ってしまう。早く安心してサンマを食わせてほしいものだが、無理だろうなあ。