随想

異変!? 笠矢の湯と硯石

永井登志樹

 「此岨畑を下りて海へたの笠矢といふ処に温泉ありとも潮もひとつにうちあふれてひゆるなりとぞ(この険しい石山の畑を下った海岸の波打ち際の笠矢というところに温泉が湧いているが、波が寄せて海水が入り込むので、冷たくなるということだ)」(『男鹿の鈴風』より)
 200年前に菅江真澄がこのように記している「笠矢の湯」は、男鹿半島にある男鹿温泉郷の北側、湯の尻漁港から海岸を西に数百メートル行ったところにある。断崖の下の岩の間から湧出しているのだが、波に洗われる海岸なので荒天の日は海水をかぶり、石ですぐに埋まるため、湧出口を見つけることはなかなか難しい。1950年代には一時浴槽が設けられたこともあったというが、今では地元の人にも忘れ去られた温泉となっていた。
 その笠矢温泉に異変が起こっているのを知ったのは、2カ月前の6月中旬、男鹿温泉郷で温泉宿を経営しているY社長の電話からであった。
「Nさん、笠矢の湯が大変なことになっている」「お湯が湧き出て、あたりが茶色くなって、浜に湯の花が!こんなのは初めてだ」「真澄は地震のあとに笠矢の湯が今まで以上に湧き出たと書いているから、今回も東日本大震災の影響なのでは?」
 Y社長は、笠矢の湯を菅江真澄の記述から探し出し、泉源をスコップなどで掘り当てるなどして、この温泉に再び光を当てた人である。自噴しているとなれば、有効利用の可能性も見えてくる。
 というわけで、笠矢の浜へ行ってみた。
 海岸におりて大きな石がごろごろ転がっている岩浜を行くと、大きな白い岩の下がちょっとした湯だまりになっていて、そこから海へかなりの量のお湯が流れていた。岩の右奥が泉源だ。湧出量は毎分100リットルくらいあるだろうか。お湯の流路に茶色の沈殿物(湯の花)も見られる。
 この場所は2年前に男鹿市菅江真澄研究会会長のAさんが温泉を掘り当てた場所だ。その時は深く掘ってようやく温泉がしみ出てきたくらいだったのに、今は地中から湧き出ているのがはっきりわかる。その時に泉温を計ったら32度だったが、今回も計ってみたらぴったり32度。男鹿温泉郷の他の源泉と同じく、食塩泉の部類だろうが、鉄分も含んでいるようだ。口に含むとほのかに甘い。飲用にも適している。温度は低いが泉質は第一級といえるだろう。
 ただし、この温泉には気にかかることがある。Y社長も言っていた地震との関連だ。
 菅江真澄は文化7年(1810)8月27日(旧暦)におこった男鹿大地震を体験しているが、その時の日記『男鹿の寒風』に「妙見山(湯本)の温泉は止まりて、笠矢の崎にいやましに涌きづるなど人の語りき(湯本の温泉は止まり、逆に笠矢崎の温泉は、いっそう湧き出るようになった、と人が語った)」と記している。
 もともと、男鹿温泉は温泉郷の真下を通る湯本断層という活断層に沿って湧出しているため、地震の影響を受けやすい。Y社長が言うように、このたびの東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)と関連があるのだろうか。それとも、男鹿半島周辺域での新たな地殻変動の前ぶれなのか? 温泉が出たのはいいが、ちょっと不気味にも思えてしまうのは、私の考えすぎか。


 この夏、私が男鹿半島で目にした異変は笠矢の湯のほかに、実はもうひとつあった。それは寒風山の「鬼の隠れ里」の「弘法の硯石」が涸れてしまったこと。
 男鹿半島の寒風山に、巨石が積み重なって岩石のピラミッドのように見える場所があり、「鬼の隠れ里」あるいは「石倉」と呼ばれている。鬼が積み上げたという伝説が残る巨石の地形は、火山学者によれば、火山の噴火で形成された溶岩ドームの一種、火山岩尖のスパイン(溶岩尖塔)だという。スパインとは、粘性の大きい(粘り気の強い)溶岩が、ゆっくり下から押し出されて塔のようにそびえたもので、その塔が崩れて今のような形になった、というのである。
 その「鬼の隠れ里」の巨石のなかに、「弘法の硯石」と呼ばれている石がある。表面にいつも水がたまっていて、日照りになっても決して涸れず、汲み出しても水がもとのようにたまってくるという不思議な石だ。先月(7月)のある日、「鬼の隠れ里」へ行き、その硯石を見て驚いた。なんと水が一滴もなくて、すっかり干上がっているではないか。
 これまで「鬼の隠れ里」には幾度となく訪ね、そのたびに硯石を見ているのだが、言い伝えの通りいつも水が溜まっていて、ほんとに不思議なこともあるものだなぁ、と思っていた。だから、干上がった硯石を見たのは、今回が初めてで本当に驚いた。確かに、今年は空梅雨で7月に入っても雨の降らない日が続いていたが、だからといって、あの伝説の硯石がこんなに簡単に干上がるものなのだろうか?

 自噴した笠矢の湯といい、涸れた硯石といい、男鹿の自然がいつもとちがってちょっとヘン? 天変地異など何か悪いことが起こる前兆だったりして…思い過ごしでなければいいのだけれど。

水が涸れた「弘法の硯石」

普段はこのように水が張っている