随想

秋田弁で遊ぶ

あゆかわのぼる

 南秋出身だという女性の方から電話があったのは、4月の終りごろだった。
「私の子どもの頃、大人たちが『たらのふりをする』というような言葉を使っていた。あまりいい使い方でなかったように感じていた記憶があるが、今、故郷を離れて気になる言葉だ。どういう意味で語源はなにか知りたい」
 というものだった。たぶん秋田弁なのだろうが、聞いた事のない言葉だった。私が、調べて後で連絡しましょう、と返事したら、二、三日後にまた電話するのでよろしくお願いする、と言う。
 「故郷を離れて…」と言うから、県外に嫁ぐか就職して首都圏にでも行って長いのだろう。
 南秋あたり特有の方言なのかもしれないと思い、友人知人の中で、そういう事に詳しいと思われる二人に訊いてみた。そこから、なんとか辿り着く事ができて、『たらふりこぐ』という、南秋など、県内の一部で使われている方言だと分かった。
 意味は、酒席で酔って、あるいは酔ったふりしてかたわらにゴロリと横になり、まわりで話されている世間の噂や、他人の悪口を聞き、翌日からそれに尾鰭をつけて喋り歩く事を『たらふぎこぐ』と言い、そういう嫌われモノの事を『たらふぎこぎ』と称ぶという。語源は、ゴロリと横になった様がいさばでセリにかけられている魚のタラに似ているからだ、と教えて貰った。
 数日後に女性から電話が入ったので説明して上げたら、弾むような声で喜んでくれた。
 こういう事は時々ある。
 数年前の事だ。1週間くらいの間に、全国各地からメールで全く同じ内容の質問が5件ほど来た。
 質問の内容は、「秋田弁に『かだっぱりこぎ』という言葉があるか。言い方はこれで正しいか。意味と語源はなにか」というものだった。
 全く同じ質問が全国各地からほぼ同時にきてびっくりしたが、何通目かの質問にその理由が書かれていた。
 その頃、『※踊る大捜査線』という映画が全国で上映中で、秋田県出身、東北大出のキャリア警官として主役を演じている柳葉敏郎が、映画の中でその言葉を使っているのだという。私は、うるだいで映画館に走り、その映画を見た。私は映画の筋はほとんど頭に入らず、ひたすらそのセリフを待っていたが、いくら待っても出てこない。間もなくエンディング。聞き逃したか、と思ったら、ラストシーンで織田裕二扮するノンキャリの相棒に向かってボソリと言うのがそれであった。
 私はそれぞれに丁寧に説明のメールを送った。
 私は確かに秋田弁に興味を持っている。しかもそのキャリアが20年を越える。しかし、的はずれで学問性から遥かに遠く、ただ遊んでいるだけで、どうという事はない。問題は、うずげたがれでええふりこぎだから、かなりいかがわしい講座を雑誌に連載したり雑文に書いたり、それを本にしたり、懲りずにインターネットで解説してしまったりする。だから、一部の人間は、方言の研究家と勘違いしてしまうらしい。それでこういう事が起こる。
 この間も、シャシャリ出ている民放ラジオ番組に質問が来た。こういうのだ。

「先日テレビを視ていたら、熊本県の天草地方で御飯のおかずの事を『御飯のシャー』と言うと言っていた。秋田弁では『ママのシャッコ』というがどこか似ている。その関連性を説明してくれ」
 かなり学術性の高い質問である。変な言い方だが、私に分かるはずがない。調べるにも、その術を知らない。机の上に数冊の方言辞典を積み上げてボー然とする事数日。ある時、全く無意識に膝をパンと手が打った。
「そうか!」
 おかずの事を『菜(さい)』という。犯人はこれだ。
 学習研究社の『全国方言一覧辞典』を手に取り、『おかず』の項を開いた。そしたらあにはからんや、沖縄などホンの一部を除いて、おかずの方言が“おかず県”と“おさい県”に別れる。そして、東北では秋田、山形、福島が“おさい県”。九州も鹿児島を除くと“おさい県”と分かった。秋田弁は、可愛いものにはお尻に“コ”をつける。『おふるめこ(ご祝儀)』、『きのごっこ(茸)』などのように。故に、『シャッコ(菜ッコ)』。
 ついでにページを捲ってみると、「ありがとう」は秋田弁で『おーぎね』というが、関西では『おおきに』。県北の方で使う『んだばて』は、博多弁の『ばってん』だし、県の内陸南部あたりで涙を『なだ』と言うが、ご存じ夏川りみのヒット曲『涙(なだ)そうそう』で分かるように沖縄弁でもある。
 ついでに、秋田弁で『けなり』という「羨ましい」が関西では『けなるい』と言うらしいし、『とぜね』も、関西地方で『とぜんなか』と言うと辞書に出ている。
 なぜそんなに離れているのに同じような方言が使われているのか、定かな事は知らない。しかし、方言は、日本語がその土地のアクセントやイントネーション、あるいは訛りによって生まれたり、略したり修飾されてできたり、北前船などの船運や食料(『なだ』は米と一緒に本土に入った、と教えてくれた人がいる)、商人などが運び、それぞれの気に入った土地に落ち着いたものと思えば納得する。
 柄にもない偉そうな事を言うが、根拠にはかなり乏しい。しかし、日常生活にはなじめなくなったのか、特に若い人たちが敬遠して、次第に消えてゆく。昔、パン食の薦めがあり、「米を食えば頭が悪くなる」と言われ、特に都会の人たちがパンに走った。今でも、朝、パンにコーヒー、あるいはミルクというのが文化生活と勘違いしている人が多いように、方言も、特に昭和30年代の方言追放運動で痛め付けられ、これもまた、共通語を使うのが文化の先端と刷り込まれてしまった。
 ところがである。私は3年ほど前からテレビで、視聴者から寄せられる秋田弁を織り込んだ川柳の選者をやっているが、そこに寄せられる作者の大半がお年寄り。中には卒寿過ぎた方もおられ、皆さんが、秋田弁と川柳で生き返ったとお手紙を下さる。70代の女性は、夫を亡くしてから、入院までした鬱病で引きこもっていたが、秋田弁と川柳作りで蘇り、最近はゲートボールに出掛けるようになったとお便りをくれた。
 方言は深くて楽しくて癒されるその土地固有の文化である。
※『踊る大捜査線 THE MOVIE 2 レインボーブリッジを封鎖せよ!』(東宝・2003年)