随想

孤高の人

酢屋 潔

 孤高の人の表題を見て読者は哲学者か行者のような人を想像されるでしょうが私がこれから書こうとしているのは登山家、加藤文太郎のことである。彼の名は少しでも登山をかじった人や郷里兵庫県の人には知っているだろうが一般には余り知られていない。
 彼は兵庫県新温泉町浜坂出身で加藤岩太郎とよねの四男として生を受ける。
 大正八年に浜坂尋常高等小学校卒業、神戸の内燃機製造所(三菱重工業の前身)に勤務し、県立工業校夜間部を卒業する。彼の勤務態度はなかなか真面目であり上司からも評判がよかった。当時の彼の住まいは須磨にあったので六甲山が歩いて登れる位置にあったことと生来の山好きと相まって彼の登山熱は急速に高まった。又彼の上司の遠山三郎という人がいろいろ登山のことを教えてくれたことが彼の登山熱に火をつけた。
 彼は歩くのが非常に速く当時としては珍しい六甲山縦走をやりとげた。彼は早朝に須磨を出て六甲全山を縦走し、宝塚に下山した後、その日のうちに又歩いて須磨に帰って来たという。その距離は約百キロメートルになったという。我々にマラソンの走るのを見て長い距離だと思うのだが山を登って下って百キロメートルとは正に驚異的なことである。
 大正から昭和初期にかけての登山は今の登山と違い特権階級のものであった。装備や山行自体に多額の金額がかかった。又ガイドを雇うことも必要だったので特権階級のスポーツとされ、主として大学の山岳部の人達により行われていた。その中で加藤文太郎はありあわせのナッパ服の服装で登山靴をもたないので地下足袋をはいて山に登った。いつも単独行で地下足袋をいつもはいていた。
 昭和三年頃から専ら単独行で日本アルプスの数々の峰に積雪中の単独登頂を果たしたが、なかでも槍ヶ岳冬季単独登頂や富山県から長野県への北アルプス単独縦走によって「単独登攀の加藤」「不死身の加藤」として一躍有名になった。
 昭和十年、浜坂出身の花子と結婚する。結婚してからはしばらく登山は自粛していたが昭和十一年一月、彼を慕って彼の後に続き単独行を重ねてきた吉田富久と共に槍ヶ岳北鎌尾根に挑むが猛吹雪に遭い天上沢で生涯を閉じた。
 当時の新聞は「国宝的山の猛者、槍ヶ岳で遭難」と報じた。
 以上は加藤文太郎の略歴である。
 ここで付け加えておきたいのは加藤文太郎の勤務態度である。山登りの為、有給休暇を取っていたので普段は早朝出勤、残業をした。特筆すべきはディーゼル機関の爆発の提案であった。

 新田二郎の文から抜粋すると、「このアイディアのヒントは」「吹雪の雪洞の中で思いつきました」
 加藤は、鉛筆で雪洞の絵を書いて、そのときのことを説明した。「いつしか吹雪がやんで、外に出ると丸い月が出ていました」「加藤君、君のアイディアはすばらしい。天才的着想といってもよい。しかも実現性のある考えだ。ディーゼル機関の将来に新機軸を与えるものであるといってもいい」
 立木海軍技師はそこで言葉を切って、「これを実用化するには更に綿密な設計と実験がいる」と言った。
 この提案により彼は若くして技師に推薦された。
 技師と言えば大学を卒業した人でなければ当時はなれなかったのに小学校出の加藤文太郎の若くしての技師就任は当時としては破格のものだった。
 さて、話を登山に戻すと、彼が遭難にあい命を落としたことに対し色んな論評が述べられている。
 七日から始まった二人の捜索では北鎌倉と槍の穂の間、天上沢側の雪庇の下に雪洞の痕と甘納豆の缶などを発見、再び槍に戻って行くアイゼンの痕が槍の穂の直下で消えていたことなどから、千丈沢側に滑落したという結論を出した。そうして二人を探し出せないまま十七日で捜索は打ち切られた。二人の遺体が発見されたのは北鎌尾根の末端、P2直下の天上沢側であった。
 この遭難について最も影響の強かったのはやはり、新田二郎の「孤高の人」だったろう。この小説では文太郎が余り気が進まなかったのに吉田富久の強引なすすめにより参加したことになっているが、之に対し反論もある。遭難の二十七年後夫を失った加藤花子さんの思い出話がある。
 最後の登山に吉田様と約束が出来てからは、登山の準備に余念がありませんでした。彼は山男の美しい友情についてよく話していました。彼の遭難後しみじみとその言葉を身をもって体験させて頂きました。
 加藤夫人が吉田様を恨んでいる、というようなことだけは文面からしてもなさそうだ。
 それどころか彼女は「山男の美しい友情」とか「山友達」とかを強調している。だから新田二郎の小説「孤高の人」のように、気が進まないが強引な勧誘により参加したことはなさそうだ。山友達を強調することが「単独行」とそぐわないという話は、単独行をあまりにも強調したことにならないだろうか。
 人はなぜ山に登る、という声に「そこに山があるからだ」という言葉は余りにも奇知のある、うがった言葉ではないか。
 私は研ぎ澄まされた達成感の中に山登りの魅力の一端が見えるような気がする。