煉獄の星 |
菅 禮子 |
黒暗々の宇宙の中、無数のクレーターと共に大写しになった月面の端から、今しもゆっくりと姿を現した惑星──“地球”という名のその惑星のなんという青さ、明るさ、美しさ!そこにはアジア大陸と共に日本列島がくっきりと映っている。今、あの中に確実にわたしは存在し、生きている。──宇宙ロケットから写し出された映像の中にそのことをたしかめて、わたしの胸は感動と喜びに胸がふるえた。 |
ダンテの『神曲』の詩句だったろうか?──ここを過ぎて滅びの市へ──という詞を思い出した。滅びの市とは地獄──そこには愛欲や物欲におぼれた者、他人を殺した者、親族殺し等が絶え間ない責苦に悩まされていると──ではここ過ぎてのこことはどこか、それは即ち天国と地獄との間、煉獄でなかろうか。私たちは煉獄の中に生きている。 このままで行けば日本は滅びる。この煉獄から地獄に墜ちて、永劫に姿を没してしまうかもしれない。 二ヶ月を過ぎてまだ治まらぬ余震に揺れながら底知れぬ不安の日々を過ごす中、思わず眼を奪われた新聞記事があった。 平成二十三年三月十一日、宮城県南三陸町の防災対策庁舎の二階から、防災放送で刻々迫る津波の襲来を告げ、「一刻も早く、高台に逃げて下さい」と町民に呼びかけ続けた、遠藤未希さんはやがて遺体となって発見されたという。二十四歳という若さだった。掲載された生前の写真の屈託のない笑顔を前に思わず熱い?がこぼれた。今もあとからあとから湧き出る?ををぬぐいつつこれを書いている。 押し寄せる津波をまのあたりにしながら、町民の生命を救おうといまわの際まで放送をつづけた──自己責任を全うした…… それで胸の中に蘇えった事がある。今から六十数年前、太平洋戦争も終盤のことだった。 昔は樺太といわれた北方の地で、敵の進攻をまのあたりにしながら、電話通信で情況を本土に送りつづけ、最後は「本土の皆さま、さよなら、さよなら」の声を残して全員自決した電話局の通信手の女性たちである。(今は北海道の宗谷岬の辺りに碑が建っている) 彼女たちは幼い時から全体に対する奉仕、自己犠牲、国家への忠誠心をたたきこまれて育ったのだが、敗戦による大転機を迎えて、人びとは個々人の自由を与えられ、すべては己の責任に於いて自由に生き行動することになった。 そして六十数年の歳月を経て社会は今の相になったのだが、先の戦争中ならいざ知らず、今の時代にこんな究極の自己犠牲によって、奉仕する若人が存在したとは── もう今時の若い者などとは言うまい! 涙滂汰の中でそう思った。日本の未来はどう変わろうとこういう若人の在る限り、この国は沈没せずに“素晴らしい国”であり続けるだろう。 美しい地球には美しい人間の魂が生き存在する。 |