随想

謎めく猿穴噴火口

藤原 優太郎

 鳥海山の西麓、秋田と山形の県境付近に「猿穴」という古い噴火口がある。
 今では低灌木に覆われた山の中のぽっかり窪地の猿穴は、成層火山(噴出した溶岩や火山灰が噴火口のまわりに堆積して層を成した火山の形態)の鳥海山の火山運動によって出来たもので、地図上にその名も記されている。
 今、九州では新燃岳が盛んな噴火活動を見せ、異常なまでの火山灰に悩まされている。日本列島は火山や地震が多く、いつどこで牙を剥くか分からない自然災害に脅かされている。
 火山を話題に鳥海山猿穴の謎に少しふれてみたい。鳥海山の火山や氷河について研究を重ねた加藤萬太郎氏(故人)の『鳥海山と東北の氷河期』という研究著書によれば、猿穴を含む西鳥海火山体が形成されたのは20万年前から10万年前の地質時代、鳥海山が成層火山を形成した以後のことである。この西鳥海火山体の一連の噴火活動末期、7合目御浜のまわりの鍋森や扇子森、大平、それに小爆裂火口の鳥ノ海(鳥海湖)などが出来たものという。
 猿穴火山の噴火では小砂川から三崎公園まで大量の溶岩が噴出した。今でもこの付近では有名な鳥海石の採石が盛んに行われている。小さな三角錐を見せる観音森も猿穴火山の一部である。
 猿穴へは象潟大須郷から観音森を経由して行くことができるが、積雪期以外はアプローチが難しい。鳥海ブルーラインの吹浦口の途中からも道らしいものもある。
 旧噴火口は直径およそ100メートル、深さは20メートルほどのスケールで大きな窪地となっていて周囲は低灌木に覆われている。3月、雪の季節にこの猿穴探検をしたことがある。どうして猿穴の名がつけられたかは不明だが、猿でもないと登り降りできないという意味だろうか。

 謎めいた猿穴の噴火口に近付くと、明治の文豪、夏目漱石の『二百十日』を思い起こす。圭さんと碌(ろく)さんという二人の主人公が阿蘇火山を旅する物語である。真っ赤に火柱を上げる御山、阿蘇山を目指す二人は、途中で「よな」という雨混じりの火山灰をものともしなかったが、途中で道に迷い、剛健な圭さんがススキの道を踏み外し大きな穴に落ちる。溶岩の穴の中とその上で逡巡しながらも日没間近、ようやく難を逃れる。その日は二百十日であったという。小説『二百十日・野分』(夏目漱石・新潮文庫)の一部を抜粋してみよう。
 圭さんはのっそりと踵をめぐらした。孤立して悲痛な様の二人は無人の境を行く。(中略)圭さんも碌さんも、白地の浴衣に、白の股引に、足袋と脚絆だけを紺にして、濡れた薄をがさつかせて行く。腰から下はどぶ鼠のように染まった。腰から上といえども、降る雨に誘われて着く、よな(火山灰)を、一面に浴びたから、ほとんど下水に落ち込んだと同様の始末である。
 最初のうちこそ立ち昇る噴火の煙を正面に見て進んだが、しだいに火山灰を横から受けるようになり、噴火口がいつの間にか後ろの方に見えだして道を間違えたことに気づく。その後、圭さんが穴に落ちる。二百十日に山入りしたための天罰てきめんであった。
 余談だが、小説主人公の一人、碌さんの名をいただいた有名な彫刻家がいる。信州安曇野に「碌山美術館」があるが、荻原碌山がその人である。 
 猿穴という謎の噴火口は誰でも近付ける場所ではないが、こうした火山地形が鳥海山のまわりにあることは、探検好きにとっては絶好の遊び場となっている。