随想

『個人情報保護』という恐い話

あゆかわのぼる

 先日、県生涯学習センターから電話をもらった。「県北の市の教育委員会が、講師の依頼をしたいのであなたの電話番号を教えてほしい、と言っているが教えてもいいか」と言うので、「どうぞ」と答えた。
 お世話になっている雑誌社や出版社、今回のような公的機関などから、そういう電話を時々もらう。
 あるいは、団体などの機関紙誌や冊子に文章を寄せたり紹介記事が載ったりするとき、住所を載せてもいいか、と訊かれる。アンケートを求められ、そこに住所や電話番号を記入する欄があると、必ず、「目的以外に利用しません」と但書がある。
 わたしは、詩の同人雑誌の編集をしているが、最後のページに『同人住所録』という欄を設けている。全国から送られてくるほとんどの雑誌がそうしている。丁寧なところは電話番号まで付してある。これが個人情報保護上問題ではないか、という話が数年前に出て、わたしはやめようとしたら、皆が「構わないから続けろ」というので引き続き載せている。
 こういう問題が表面に出てきたのは、平成15年に制定された『個人情報保護法』前後である。
 その前後だったかしら、大物政治家の愛人スキャンダルが大きな話題になったことがあった。
 そういう著名人のプライバシーが侵害されるようなことがあるし、それ程ではなくても、公表した住所や電話番号が悪用されて、その人に迷惑が及んだり、事件に巻き込まれたりすることが市井の民間人にはある。振り込め詐欺のような事件もそれがきっかけなのではないか。
 例えば、名前を聞いたことのない出版社から自費出版を勧める案内状や電話がしょっちゅうくるが、それなどは、同人詩誌や商業詩誌の住所録などで知るのだろう。
 いつだったかの国政選挙のとき、ある立候補者からはがきが届いた。何となくみていると、「○○氏からの紹介」と書いてある。ところがわたしは、その立候補者にも関心がないが、わたしを紹介した○○氏に全く記憶がない。友人知人にもいない。気になって人に訊いたら、その人はわたしの住むところを主地盤とする地方議会の議員だという。
 「後援会に入ってるんでしょ」というが、そんな事はしないし、知らない人のそんな会に入るはずがない。だれかが勝手に推薦する事もあるらしい。そういえば選挙近くになると、郵便受けに候補予定者のパンフレットが入っていて、その中に、「あなたの友人や知り合いを紹介して下さい」と何人かの名前や住所の書ける欄のある料金着払いのはがきなどが入っている。「それにアンタの名前を書いた人がいるんだよ」だとすれば、迷惑な話なので、その地方議員に電話で問い合わせてみたら、こう言う。「国政選挙の立候補者の事務所から数千人の名簿提出を求められて、電話番号簿から転記して提出した。その中にあなたの名前が入っていたかもしれない。申し訳ない」(そうか。そういうテがあったのか)
 そういう世界に疎いわたしは、変に感心してしまった。言われてみれば電話番号簿にはなぜか番地まで詳しく載っている。そして、それでまれに助かることもあるが、よく考えれば、これほど個人情報保護法上問題のある冊子もない。「助かるときがある」と言いながらなんだが、電話番号簿に番地まで付ける必要があるのか。同姓同名の人を見分けると言っても、それ程多くはないと思う。そういう情報のほしい、それを使って悪巧みをして金儲けをしようと思っている輩に、NTTはタダで情報をプレゼントしていることになる。これでは、個人情報の垂れ流しをしているといわれても仕方がない。

 わたしの友人は電話番号簿に名前を記載していない。
 いろいろ不便だろう、というと、第一線をリタイアし、子どもも独立して老夫婦二人の悠々自適の生活には、見知らぬ他人からの電話のほとんどが、なにかの勧誘や押し売りなどの迷惑電話ばかりで、煩わしいから削除してもらったという。
 なるほどナァ、と思わぬわけでもない。
 昨日、こういうことがあった。
 わたしの住んでいる町に、素人劇団を創って、老人ホームや地域のイベントなどに出かけて芝居を見てもらっている女性のグループがある。社会貢献度が高くて、県から表彰されたこともあるらしい。そのグループをもう少し深く知りたくて電話してみようと思った。しかし、グループの名前で電話番号簿に載っていないし、リーダーは家庭の主婦で電話番号簿で調べることは叶わない。困り果てたわたしは、市役所地域センターの、そういう活動を把握し、利用し、時には支援しているセクションに電話で訊くことにした。「リーダーの電話番号をわたしに教えていいかどうか確認して、よかったら教えて下さるか、直接わたしに電話を下さるようご手配願えませんか」そうお願いしたら、相手の女子職員が、「電話番号はわかりません」とにべもなく答えた。わたしはびっくりした。(えっ、そういうことも把握していないの?)
 平成の大合併で、それまでは“町”だったわたしの住むところは、大きな市に吸収されるようにして合併した。
 それを機に、役所の窓口は、職員や、仕事の内容や量が激減した。予算も特別なく、裁量権や決定権がほとんどない窓口業務だけ。おまけに地元職員が少なくなり、役所と住民の関係は疎遠になってきているという。だから、住民活動なんてどうでもいい、関われば余計な支出が伴うかもしれない。だからそんなどうでもいいものは知っておく必要がない。そうなってしまったのだろうか。これでは役所の機能の一部が停止しているということではないか。職務怠慢、というより業務放棄だ、と思った。
 こういう状態が続き、地域センターの規模や機能が縮小され、地域は寂れ、廃れてゆくのだろう。
 数ヶ月前、地域センターのそのセクションが窓口の会合が開かれ、出席したが、その会合に件の演劇グループのリーダーも主要なメンバーとして出てきていた。住所や電話番号を役所が知らないはずがない。
 わたしは、「しまった!」と舌打ちした。
 電話の冒頭でわたしは、「個人情報保護上問題がなければ……」と前置きした。それで、住民サービスを忘れ、そういうことに無知で不慣れな相手はビビッテ逃げた。
 どっちだとしても、これは恐い話だ。