会長の言葉

千秋楽同期会 会 長 菅原 三朗

 われわれの同期会は戦争末期の昭和19年4月秋田中学に入学し、昭和25年3月秋田高校卒業という、人生の最も多感な青春時代に、わが国未曾有の大戦争・敗戦そして他国による占領の経験を共有し、実質6年間中高一貫校で机を並べた仲間の集団である。
 しかもこの一同は戦争の何たるかを知り、校舎は占領軍に接収され、その後は劣悪な教育環境にもめげず県下第一の高校の栄誉を胸に、よき師に恵まれ運動に学業に大いに励み、友情の絆を育み深め、それぞれの道へと巣立って行った。その数274名である。
 まさに国敗れて山河ありであったが、我が国には数千年にわたり培われてきた民族のすぐれた歴史と伝統文化があり、やがてその真価は疾風怒濤の如く到来する経済の高度成長時代を築きあげ、その担い手となったのがわれわれの世代であったろうと思う。
 これらの士が、この嵐の時代を掻い潜り社会に頭角を現しはじめ、42歳の年祝いの同期会開催を契機に貴重な若き時代を思い起こし、同志の今後の発展を願って語り合おうと同期会が結成された。
 その同期会結成の音頭を取ってくれたのは、大友康二、渡部誠一郎、渡辺繁雄の3氏である。渡辺繁雄氏は成功を収めた「角繁」を背景に、この企画の実現に事務所から人材・資金の援助まで惜しまず提供されたと聞く。
 以来、同期会はこの「角繁」の提供した事務所に活動の本拠を置く便宜を得、大友康二・渡部誠一郎という、活力旺盛な二人の知恵者が代表幹事となり卒業30周年以降、われわれの同期会は働き盛りの時から傘寿の今日まで、一年の休むこともなく毎年開催され今年で34回を数えるに至った。


 同期会創設の立役者は前記の3人であるが、事務所が設置された後やがて私でよければと表れたのが、小林良弘・田中孝一と言う2人の気違い事務局である。この2人は寝てもさめてもアンテナを張り巡らし「事務局は戸籍係」との揶揄をものともせず「おれ達のような気違いも必要だ」とひたすら同期会の運営に尽力された。
 これでわれわれの同期会も盤石の体制が整い、独特にして緻密で継続性のある類まれな存在となって今日に至っている。
 どんな会や団体でもその盛衰の鍵を握るのは事務局次第である。毎年の「同期会のつどい」の発刊をはじめ、様々な事業・企画の継続など30有余年に亘る同期会の開催とその活躍の基本を支えてきたのは、まさに小林・田中の両事務局であり舌筆では盡し得ない大功労者である。
 またこれまで発刊された「同期会のつどい」をはじめ、節目毎に発刊された「記念誌」等は日本の戦後史の生々しい集団の時代史と言ってもよい貴重な資料であり、是非適切な保存措置が取られるよう提案をしておきたい。
 秋田高校卒業60周年、傘寿記念、そして千秋楽という、わが同期会最後の例会が9月18日秋田ビューホテルで開催される。現在の「通常会員」135名である。しかも「物故会員その他」も135名、この数字は偶然の一致かもしれない。しかし昭和の大恐慌のさなかに生をうけ、太平洋戦争から敗戦、突如の民主主義への180度の転換、同期会旗のシンボルそのままに「疾風怒濤」の大波に翻弄されてきた。千秋楽の同期会に果たして何名出席するだろうか、ついにその日がやってきた。