随想

朝散歩の思考回路

藤原優太郎

 日本人はなぜこうも桜が好きなんだろうと思う。列島に桜前線が北上しているさなか、この春は異常ともいえる寒さで秋田の桜はつぼみを堅く閉ざしたままだった。それが大型連休を前にしてようやく開花宣言が出され、遅まきながら爛漫の春を迎えようとしている。
 雪解けも済んだ4月に入り、思い立つように朝の散歩を始めた。桜に誘われたというわけではない。自宅から千秋公園が近いこともあり、早朝の1時間ほど外を歩くことに決めた。散歩は運動のためではない。ただなんとなく思考の時間が欲しかっただけである。
 できるだけ人通りの多い道を避け、公園の静かな木立の中を歩いている。時あたかも観桜会の時期、出店並ぶ二の丸をパスして穴門の堀から鐘楼に登り、さらに茶室付近に出て長屋門の土手から本丸周遊が定番のコースである。
 二の丸広場は避けているのだが、ちょっと気になる場所があり、佐竹資料館の前に行ってみた。そこには明治から大正期の歌人若山牧水の歌碑がある。大きな碑には漂泊の旅人、若山牧水が大正5、6年頃に秋田を訪れた時に詠んだ歌が刻まれている。
 「鶸(ひわ)めじろ山雀(やまがら)つばめなきしきり さくらはいまだひらかざるなり」
 酒好き牧水は、まだ桜の咲かない千秋公園で酒宴でも張ったものだろうか。
 牧水には自由気ままな漂泊のイメージがあるが、そうばかりでもないようだ。旅をする際には事前に帝国陸軍参謀本部の5万分の1地図と磁石を用意することを忘れなかった。
 「幾山河越えさりゆかばさびしさの果てなむ国ぞ今日も旅ゆく」
 あまりに有名な歌だが、明治から大正時代、秋田を訪れた子規や牧水など当時の旅人の行動スタイルがうらやましい。
 「……さくらはいまだひらかざるなり」
 九州人の牧水にとって秋田はどれほど果てなむ国に映ったことだろう。

 長屋門の土手のベンチに腰掛けていると朝7時を告げる鐘が鳴った。間延びするような七つの鐘の音を耳にし、大きなケヤキを見上げるとつがいのアオゲラが太い幹にしがみついている。そんな啄木鳥(キツツキ)の様子を目にして歌の一つも詠めない散歩人が哀しい。
 松下門から下って穴門の堀に行くと満開になりかけた桜のむこうに県立美術館の大きな屋根が見えた。今、話題の建物である。天上側部に並ぶ丸い明かり取り窓が特徴的だ。
 再びベンチに腰掛けて美術館のことを思った。移転か存続かで揺れる古い建造物であるが、近代の秋田県人はいとも簡単に古い物を捨て去る習性があるようだ。文化、芸術のセンスが希薄ということにつながる悲しい県民性か。
 以前、パリのオルセー美術館を見学したことがある。そこは古い駅舎を再利用した伝統ある美術館で、古いものを生かす哲学、理念が感じられた。まさに比較するべくもないが、秋田市中央街区にぎわい創出の移転計画に、広小路はじめ旧婦人会館跡地周辺を秋田市の中心と考えている人が今どれだけいるだろう。
 「路はひとつ 間違えることは無き筈 磁石さえよき方をさす」(牧水の文より)
 秋田市中央街区にどのような政治的、経済的な磁場があるかは知らないが、どう考えてもよき方角を指す磁針が狂ってしまっているように思えてならない。