随想

『えぶりがっこ』と『ええふりこぎ』
    -秋田弁は文化遺産である-

あゆかわのぼる

 秋田弁を意識したのは40年余り前である。
 転勤で矢立峠を越えて弘前で暮らした時、地元の詩人たちとの交流を通して、津軽弁で詩を創り世界的に知られている、方言詩人の高木恭造先生との知遇を得た。
 それまでは、秋田弁を軽視していた。子供の頃、方言は寒くて暗くて貧しい地方に住む人々が使う汚い言葉で、都会に出て行って使うといじめにあうと教えられた、方言追放運動がそうしたのだろう。
 それに加えて、サラリーマン時代は転勤が多かったから、子供たちが言葉で困らないように、家の中ではおぼつかないながら共通語で話すようにしていた。
 そんな状況だったから、最初に暮らした津軽で、老若男女が日常生活で当たり前のように津軽弁を使っていることにショックを覚え、なおかつ、高木先生の詩で詠む津軽弁の美しさに胸を打たれた。
 心のどこかで軽蔑してきた秋田弁も、きっと深い意味と味わいのある美しい言葉なのかもしれないと思った。
 それが表面化したのが3年後。さらに大釈迦峠を越えて青森市に移り、そこで奇人・伊奈かっぺいサンと出会ったのである。こちらは津軽弁を弄ぶ。
 高木先生が静なら、かっぺいサンは動。
 高木先生の津軽弁がモノクロなのに対し、かっぺいサンはカラフル。
 高木先生の教えを受け、かっぺいサンと付き合っているうちに、津軽出身の直木賞作家、長部日出雄さんの言葉を真似れば、体中の血がじゃわめぎだす。
 ほぼ7年間津軽で暮らしたが、やがてそれなりの津軽弁で会話するようになっていた。
 そして、心のどこかで、秋田弁の魅力について考えている私がいた。
 今から20年余り前、心の中にそんな思いを抱えて続けていた私を刺激したのが、地元の出版社だった。
「秋田弁の魅力を書いてみないか」
 それに乗って、その出版社が発行するミニコミ誌に、アカデミックさからは遙かに遠い、雑記かエッセイ風の秋田弁の解説を連載し始めた。
 秋田弁と遊ぶ、これがスタートだった。
 アカデミックさから遙かに遠い、といっても、出鱈目を書くわけには行かないから、一応、人の話を聞いたり、資料を捲ったりし始めた。そしたら、今まで知らなかった事、気がつきも
しなかった事と次々に出会った。
 例えば、「寂しい」事を秋田弁で『とぜねぇ』というが、これは漢字で『徒然』と書く、というような事。語源は徒然草らしい。
吉田兼好は徒然草を「無聊を慰めるために」書いた。“ねぇ”は、やがましねぇ など、秋田弁によく出てくるが、『甚だしい』という意味合いを持つ場合が多い。
 或いは『どやぐ』。これは「同役」。私とあなたは、上下主従の関係ではない付き合いをしている、という事。津軽弁では『けやぐ』。これは「契約」が語源。
 「遠慮」は『じんぎ』。これは「お辞儀」の事。国語の辞書の「お辞儀」を引くと「遠慮」とある。
 一部の地方で使う『さねねぇ』はいささか卑猥に聞こえるし、「しねねぇ」も「死ねない」ととれなくもないが、これは、「〜しなければならない」。

 県北地方に不思議な早口言葉がある。
「へればへったてへられるし へらねばへらねてひられる どーせへられるんだば へらねでへらねてへられるより へってへったどへられるほうがええ」
 日本語訳すると、「言えば言ったと言われるし、言わなきゃ言わないと言われる。どうせ言われるんだったら、言わないで言わないと言われるよりも、言って言ったと言われる方がいい」
 「へる」は『言う』『喋る』。「へう」「しゅう」という所もある。
 同じく県北地方で使う「んだばって」は、「ばってん」で、旅人が持ってきて定着したかもしれない博多弁だし、由利地方の「んだはげ」「んださげ」は、「〜さかい」で北前船に乗ってきたかもしれない関西弁の名残。「ありがとう」の「おおぎね」も、関西弁の「おおきに」。
 「ねまる」は、松尾芭蕉の『奥の細道』に、
      涼しさを我が宿にしてねまるなり
 という尾花沢で詠んだ句があるから、立派な古語。
 拾いだせばこういう宝物は幾らでもある。
 秋田弁には『い』で始まる言葉がない。
 これは、秋田県教育委員会編の『秋田のことば』という辞典
が証明してくれている。
 従い、商品名やメディアがせっせと使う『いぶりがっこ』や『いいふりこぎ』は紛い物である。
 「えあんべ(いい塩梅)」「えかげ(いい加減)」などと同じ。「いいあんべ」とも「いかげ」とも言わない。「えぶりがっこ」も、語
源は「えぶす」「えぷて」。「いぶる」は漢字で書くと、“燻銀”“燻製”などの『燻る』。これが証明するように、“いぶりがっこ”は、
共通語と秋田弁をくっつけただけの言葉。
 秋田県三種町出身のシンガーソングライターの友川カズキの新曲『むそじのブランコ』で彼は、声高らかに「えぶりがっこ」と歌っている。彼は40年前に上京したから、当時八竜町にいた頃、地元の人たちは「えぶりがっこ」と言っていたのだ。
 昨年暮れ、TVの歌番組の収録で秋田にきた吉幾三も、「秋田のえぶりがっこは最高!」
 と言っていた。津軽でもそう言うのだろう。
 誰だ! いぶりがっこにした奴は。ええふりこぎのメディアか、田舎者の漬物業者か。
 そのうち、「いぶりたくわん」などと言い出しかねない。メディアも漬物業者も『えぶりがっこ』に戻そう。
 原型に意味と味わいのあるものは原形のまま。それが方言であり文化だ。
 ちょっと肩に力が入り過ぎたな。
 こんな事をミニコミ誌、タウン誌、インターネット上で書き続けてきたら、その数800語ほど。
 そして、『あきた弁大講座』『あきた弁大娯解』(いずれも無明舎出版)『秋田弁なるほど大戯典』(イズミヤ出版)という本になった。
 今、1000語を目指し、せやみ心に鞭打って、インターネット上で『秋田弁豊饒記』として断続的に書き続け、10年ほど前から、地元のNHK−TVで秋田弁の解説や秋田弁を織り込んだ川柳の選者をし、講演もするし、たまに秋田弁の詩も創る。
 方言は、文化で、言語学で、歴史でもある。原形のまま、使って後世に伝えてゆこう。