文化遺産
Vol.4
岱山温水路[たいやまおんすいろ]

にかほ市畑横森


 ここは、にかほ市の横森集落。ちょうど、にかほ市平沢の市街地から風力発電機の立ち並ぶ仁賀保高原に向かう県道の中ほどにある。
 集落を横切って流れる疎水。いかにものどかなニッポンの田園風景だ。
 ただ、この景観は自然発生的に生まれたものではない。そこには、米づくりには適さないほど清冽な鳥海山の水と闘ってきた農民たちの、苦闘の歴史があった。
 一般に、稲の生育には水温十五度以上の水が必要とされているという。それ以下では生育障害が現れるのだ。しかしここは鳥海山の中腹。水量には事欠かないものの、水が冷た過ぎるのだ。かつて、鳥海山の裾野を流れる灌漑用水の平均水温は、真夏でも十度程度だったという。この地に根をはって生きていかなければならない農民にとって、この水の冷たさは極めて深刻だった。
 そこで、一人の農民が閃いた。「水の流れを人為的に緩くして、少しでも水が太陽に当たっている時間を長くしてみてはどうだろう」…。物は試し、流れの改良に取りかかる。川幅を広げ水深を浅くし、川を階段状にしてみる。
 誰に教わったわけでもない、まったくの思いつきだった。しかし、その成果は絶大であった。最大で八度以上も水温を上げることに成功し、生育障害のボーダーラインを難なくクリアできたのだ。これを称して「温水路」という。
 旧象潟町の長岡温水路を端緒とし、この手法は鳥海山麓の各地域に広がっていき、やがて全国の同じような悩みを抱える地域でも採用されるようになっていった。秋田の一農民のひらめきが、日本の米づくりの可能性をさらに広げたのだ。
 今でもにかほ市の鳥海山麓中腹域では、多くの温水路を見ることができる。教えられなければ見過ごしたままになってしまいそうな、ありふれた日本の田舎の風景だけれども、そこには、自然と共に生き、しかし自然に振り回されただけでは終わらない、したたかな農民たちの執念が、投影されているのである。
(文・写真/加藤隆悦)