随想
「日本国」に日本の原風景を見た
藤原 優太郎

 山形県温海町と新潟県村上市(旧山北町)の境に「日本国」という小さな山がある。標高は555メートル。この山のふもとを出羽街道と呼ばれる旧街道が通っている。ここは出羽への街道であると同時に越後に通じる道なので越後街道ともいえる。
庄内からの浜街道(国道7号)と並行しながら山の中を通る旧街道は山間部に小国という山里があることから小国街道、庄内藩ではこの海辺の道、と山の道合わせて山浜街道と呼んでいた。
この山中の小国街道(現国道345号)は鶴岡城下から湯田川や木野俣、関川など山間の小さな山里を縫いながら進み、国境(くにざかい)の堀切峠を越え村上 領の岩船郡小俣という村に通じている。
「日本国」という国境(くにざかい)の名にはどこやら魅力的な言葉の響きがあって、時々、この山の街道を通ってみたくなる。道中には、鬼坂峠をはじめ、楠峠、一本木峠、角間台峠、関川峠、雷峠などがあり、これらの坂道がかもし出す旧街道の雰囲気がたまらなくいい。
かつての領境は今、山形と新潟の県境となっている堀切峠で結ばれている。峠のふもとには庄内側の小名部、越後側の小俣という、まるで日本の原風景を見るような美しい山里がひっそりたたずんでいる。日本国という山の名に惹かれるハイカーも多く、とくに早春から新緑の季節など隠れた人気を集めている。

 日本国へは片道1時間半ほどで登れるが、ブナの森 の中にユキツバキの群落などがあって自然指向派に好 まれている。555メートルという高さから小俣の里で は毎年5月5日に555人で日本国に登るイベントを開催 し、山菜料理やソバなどのご馳走をふるまっている。 名物料理と言えば、温海は赤カブが有名だが、このあ たりまでも山の斜面で焼畑のカブ栽培が盛んなようだ。

 ところで、「日本国」というなんとも大胆な山の名はどのような由来を持っているのだろうか、誰もが興味を抱くはずだし、自分もその一人である。
 時は6世紀の後半までさかのぼる。実際の日本国家は大化の改新から律令国家へ、奈良、平安へと時代が移行した。崇峻天皇(587〜92位)の第一皇子であった蜂子皇子は対立した蘇我馬子らの陰謀から逃れて出羽の国、羽黒山に落ち延びた。それが歴史の定説である。この逃避行には皇子の従兄弟にあたる聖徳太子も力を貸したといい、羽黒山の出羽神社境内には今も蜂子皇子の墓がある。
 蜂子皇子が出羽で過ごした晩年、この山に登り、都である飛鳥の方角を眺め、「これより彼方は日本国」と仰せられたという。以来、この山を「日本国」と呼ぶようになったとか。
 また、小俣から日本国に登ると、山頂まであと少しというところに、「鷹待場」という場所がある。ここでは弓矢用の羽根を捕る鷹が多く捕れたことが藩政期の記録にも残されているという。この地の鷹を時の将軍に献上したところ、「この鷹の捕れたところを今後、日本国と名づけよ」といわれたという話もある。真偽のほどはともかく、いずれにしてもここが「日本国」であることに違いはない。

 山麓の小名部と小俣は、戊辰戦争の激戦地となったところでもある。ここで血なまぐさい戦が展開されたとはとても想像しがたい。今ではどちらもほんとうに素朴で落ち着いた山里で、まるで時代の忘れ物のように、日本の原風景を見る思いがする。
 小俣では出羽街道の宿場としての名残を留めようと、街道に面した各屋々の入口に「出羽街道○○家」と昔からの屋号を記した木札を掛けている。
 村上藩に属した小俣は後に天領(幕府領)となって幕末を迎えているが、このような歴史街道は何度でも訪れたい日本国の一隅である。