文化遺産
No.76
那波伊四朗商店(那波紙店)

秋田市大町4丁目3-35

 乱立する現代建築群の中で古い町屋として自己主張している明治の伝統的な商家である。旧茶町梅ノ丁の街角、軒の上に「和紙」「洋紙」と彫り込まれた二枚の看板が見える。那波紙店は、秋田藩の御用商人として栄えた那波三郎右衛門家から明治11年(1878)に分家、「升伊」の屋号で茶や砂糖を扱っていた。
 明治19年(1886)、大町から保戸野一帯を焼け尽くした秋田町の「俵屋火事」(焼失家屋3,474戸)によって店舗・住宅が焼失、その後、建てられたのが現在の建物で、それ以来、商売も紙の専門店として続くことになる。

 『秋田の町屋・秋田市町屋調査報告書』(五十嵐典彦)によると、「現在、大町に点在する町屋はすべて明治19年以降のものであり、那波伊四郎家は大火直後に土崎の町屋を移築したと伝えられ、主屋の立ち上がりが低く、屋根勾配もゆるいことから江戸後期の形式を色濃く残している」という。
 現在、店舗部分が改造されているものの、住居部分は当初の形式がよく残されている。木造一部二階建、切妻造の鉄板葺屋根に庇付きで、屋根は最初、小羽葺 (こばぶき)だったという。家屋は正面庇 と店舗部に改造が加えられているが、通 りの角地にあたるため、店土間が店座敷 の周囲に矩形に取り付いている。小路に 面して大戸口があって通り土間に入る。
 家屋の間取りは二列型で店の奥に客間二座敷が並んでいる。通り土間寄付きの座敷は大戸に向かい合い玄関の部屋と呼ばれていた。その北側の座敷は床の間と神棚を備え、客間の奥の土間付きにオエ(居間)がある。この住居部分は現在使用されていない。通り土間を奥に入ると二棟の土蔵がある。この内蔵は長年にわたって保存が難しい紙を守ってきた。昭和58年(1983)の日本海中部地震で壁が崩れ落ちたが、那波家では改修の手を加えている。
 伝 統的な建物はその地の風土に合った建て方で生き残ってきたもの。その歴史の重みや風景が現代建築によって崩されてゆくのは残念というしかない。

(取材・構成/藤原優太郎)