文化遺産
No.75
坂本東嶽邸

仙北郡美郷町千屋字中小森91

 大坂村(旧千畑町)を経て千屋村中小森の勝手神社の麓に居を構え、その後、大地主として発展した家柄である。沢内村坂本郷から移住したことから坂本姓を名乗り、藤兵衛が初代となって現在地に居を構えた。
 六代目の藤兵衛は増田(横手市)の沓沢甚兵衛家から婿入り酒造業を始めた人である。その子、理一郎(1861〜1917)はのちに東嶽を号とする文化人、政治家で坂本家は広く名を知られる名家となり大いに栄えた。

 明治29年(1896)、真昼山麓を突如襲った大地震(陸羽・六郷地震)で多くの家屋が倒壊、坂本家もその被害に遭った。平成4年に美郷町に寄贈された現坂本邸は指定文化財に指定されたが、今に残る邸宅は地震の翌30年から建築されたものである。町に寄贈されたのは邸宅だけでなく、田畑土地も含み、その面積は11,525uに及ぶ。
 屋敷の周りを2メートルほどの石垣が囲み、今では四分の一ほどになった住家が古いたたずまいを見せている。およそ農家建築とは思えない屋敷構えで、丸みをもった唐破風の玄関屋根が格式の高さを感じさせ、母屋内部の居間や台所は近年まで生活していた跡がうかがい知れる。
 母屋につづいて茶室や内蔵、奥座敷(二階建て)、庭園などの豪華さもまた往時を偲ばせる。とくに見ごたえのある庭園は京都の庭師が築庭したものといい、瀟洒な茶室と調和が保たれている。土蔵 を含む邸内に数多くの什器や備品が展示されている。門を入ってすぐのところに収蔵庫、記念室があり、そこには東嶽の書や書簡などが展示され、慶応義塾で共に学んだ政友、犬養毅(木堂)とも親交が深かった人柄がよくわかる。
 また東嶽は小杜山房とも号した文化人でとくに漢詩をよくしたものという。東嶽は28歳で秋田県会議員になり、その後、衆議院議員、貴族院議員も歴任。その人の村づくり構想は現在にも通用するもので、千屋地区の中心部に今も残る六条の松や杉の並木道がそれを物語っている。近くの一丈木公園には高村光雲作の東嶽銅像が建立されている。
(取材・構成/藤原優太郎)

(取材・構成/藤原優太郎)