文化遺産
No.73
豊川油田(産業遺産群)

潟上市昭和槻木地区

 縄文時代から天然アスファルトの産地として知られる潟上市昭和の豊川槻木地区は大正年間に日本有数の大油田を誇った所である。平成19年には経済産業省の「近代化産業遺産群」に登録されている。
 明治以降の油田開発は、新政府によるアメリカ人ベンジャミン・ライマンへの地質調査を依頼したことに端を発するが、その頃、新潟県や秋田県の石油事業は掘削や精製の機械化など新たな掘削法が採用され、その生産量も大正期にピークを迎えていた。

 豊川油田関連遺産群としては、古来利用された天然アスファルト採掘跡や採油井、ナショナル式ポンピングパワーユニット、天然ガスを供給するコンプレッサー、事務所建物などがあって常時公開されている。江戸時代後期の寛政二年(1790)に黒沢利八という人によって土瀝青(土油・アスファルト)から灯火用の油を精製したあと、槻木真形尻の油煙山で油煙墨の製造に専念したという。
 明治四五年(1912)中外アスファルト(株)が株山で綱式一号井の掘削を開始。大正2年(1913)、深度413mで出油を確認された後、本格的に豊川油田の開発が始まった。その後、次々に油井を増やし、大正10年(1921)頃には年産8万7000キロリットルの最高産油量を記録している。
 昭和17年(1942)国策会社帝国石油に経営が移されたが産油量は次第に減少し、同41年(1966)になって豊川油田で産出する天然ガスを秋田市営ガス(株)に販売を開始し現在に至っている。
 現在も株山に東北石油事務所が当時の面影を残したまま建っており、周辺に採油時の櫓やポンピングパワーユニット(豊川3PP)やガス供給の古いコンプレッサー(日立製)などを見学することができる。

(取材・構成/藤原優太郎)