随想

海の湯治場 金ヶ崎温泉

永井 登志樹

 秋田県で古くから湯治場として賑わったところは、主に奥羽山脈の火山地帯にある山の温泉で、海岸地帯はきわめて数が少ない。だから、男鹿半島西海岸に湧く金ヶ崎温泉は貴重な存在だった。だったと過去形にしたのは、50年ほど前までは源泉のある海浜に露天の浴槽と宿舎が設けられ、湯治客が利用していたのだが、現在は宿もお風呂もないからだ。東北地方で波打ち際の温泉といえば、青森県の津軽西海岸にある不老ふ死(ふろうふし)温泉が知られているが、金ヶ崎温泉はもっと原始的で野性味にあふれていた。それにこの温泉は人家から遠く離れた隔絶された場所にあり、断崖を下るか海上から行くしかないため、湯治客の多くは船でやってくることが多かった。まさに海の秘湯だったのだ。
 その金ヶ崎温泉に久しぶりに行ってみた。温泉といっても入り江の波打ち際にコンクリートの崩れた露天風呂跡が残っているだけなので、正確には温泉跡といったほうがいいかもしれない。温泉跡へはちゃんとした道がついておらず、断崖を下りていかなければならない。
 10年ほど前に行った時は釣り人が設置したと思われるロープを伝って下りたのだが、その場所を忘れてしまい見つけることができず、県道(旧有料道路)の「金ヶ崎温泉」バス停の脇からかすかな踏み跡をたよりに下った。繁茂した草木が行く手を遮り、途中から完全な藪漕ぎ。どうにか浜まで下りて露天風呂跡まで行くと、驚いたことに先客がいた。あとでお名前を聞いたらMさんといい、現在は秋田市に住んでいるが、生まれはすぐ近くの戸賀集落で、時々温泉の様子を確かめにやって来るのだという。(Mさんからはあとで「男鹿で生まれ育ったあなたがよく金ヶ崎温泉に来てくれた。うれしく思う」とのお手紙をいただいた。その手紙で秋田県の水環境保全や山岳清掃に取り組み、そのための発言や活動をしている人だということを、知った)
 崩壊したかつての浴槽の中にお湯が今も湧き出ていて、直径50センチほどの円形の湯だまりとなっている。見たら数日前に海が荒れたため、砂で埋まっている。そこをMさんは手で掘り返し、小さな露天風呂を出現させた。深さは5、60センチくらいだというので、腰を入れて浸かろうとしたら、アチチチ。熱くて入れない。50度くらいだろうか。
 泉質は近くの男鹿温泉に似た黄土色の食塩泉(ナトリウム塩化物泉)で、成分濃厚なのか湯舟の中には析出物も見られる。泉温も高いので温泉としては第一級といっていいだろう。こんないい温泉を前に指をくわえて見ているだけなのもしゃくなので、お湯を手ですくって、海の秘湯・金ヶ崎温泉を身体に浴びた。
 昭和54年(1979年)、この金ヶ崎温泉を引湯して秋田県企業局が2キロ離れた場所に「桜島荘」を開業したが、経営難から民間へ売却され、平成16年(2004年)春「HOTELきららか」としてリニューアルオープンし、現在に至っている。ただ、温泉そのものは露天風呂跡から南に200メートルほど離れた海岸で新たにボーリングして得たものを使用しているので、泉質に若干の違いがあり、こちらは正確には新金ヶ崎温泉と呼ぶべきものかと思う。
 金ヶ崎温泉にはちゃんとした宿舎があった。北海道のニシン漁で財をなした戸賀集落の網元が大正年間に建てたというもので、6畳ほどの部屋が4つある長屋風、老夫婦が管理人として住んでいた。その夫婦がMさんのいとこだったので、戸賀から丸木舟を漕いでよく温泉に入りにきたのだという。当時は陸路は馬がやっと通れるほどの山道しかなく、漁師に頼んで船で来る人が多かった。「皮膚病の人たちや肺病(肺結核)の人たちがたくさん湯治にやって来て、ここで亡くなった人も多い。金ヶ崎で亡霊が出るとよくいわれたものだ」と、Mさん。

 管理人夫婦が引き払ったのは昭和25年(1950年)ころで、その後もしばらくは放置された宿舎を利用する湯治客がいたというが、嵐などで宿舎が痛み、湯船が崩れるなどして、次第に行く人もいなくなったということだ。
 
 版画家の勝平得之の作品に、湯治客を集めていたころの金ヶ崎温泉を題材にしたものがある。得之は昭和10年(1935年)夏に取材旅行で男鹿半島を訪れ、金ヶ崎に1泊しているようなので、版画はその時の体験をもとに制作されたものだろう。得之は八幡平など、秋田県の他の地域の温泉にも足を運んでいるが、金ヶ崎温泉が特に印象深かったのか、次のような文を書き残している。
「男鹿半島の島々を廻った。ついでに金ヶ崎温泉の波打ち際の湯槽に浸かった。砂から、プクプクとわく湯の状態をみつめてゐると、ザーッと丈あまりの堤防をこへたしぶきを頭からかぶせられた。海の荒れるころはこんな波の再三出喰(でく)わされる温泉であるが、ここの風景は好ましいものであった。宿屋が一軒、静かすぎる位である。門前から独特の丸木舟で行くのは興が深く、戸賀から眼下に島々を眺めて歩くのもいい」(昭和17年、日本温泉協会発行『温泉』より)
 湯治客はまるで海に浮かんでいるような露天風呂で潮風に吹かれながら湯浴みをしている。海が荒れるとすぐに波が流れ込んできそうな湯船はひとつだけ、もちろん混浴である。夜はランプを灯し、月明かりの中、湯に浸かる。聞こえてくるのは潮騒だけ…。得之の版画を見ると、かつての金ヶ崎温泉の情景が目に浮かんでくるようだ。
 男鹿半島の四季を歌った『男鹿小唄』という新作民謡に、「渡り鳥さえ濡れ羽を休め、のぞくいで湯の金ヶ崎」という歌詞があることからもわかるように、かつて金ヶ崎温泉は男鹿を代表する海の湯治場であった。こんな観光資源をほったらかしにしておくのはもったいない。ここに夏の間だけでも利用できる浴舎と休憩施設があったらいいのになあ…。入り江に桟橋をとは言わないまでも、ちょっとお金がかかるかもしれないが、県道から下る遊歩道が造れないものだろうか。間断なくぷくぷく湧き出る湯を見ながらそんなことを考えた。

金ヶ崎海岸。矢印が露天風呂跡
波打ちぎわの露天風呂跡