文化遺産
No.69
戸島堰堤

秋田市河辺戸島

 秋田市南部の雄物川流域は藩政時代から新田開発のため用水路の整備が欠かせない地域であった。戸島館下にある戸島堰堤(頭首工)は藩政時代後期に平鹿の郷士、高橋武左衛門によって築造されたが、安政元年の大洪水で破壊されたあと、男鹿の渡辺斧松によって改修がなされるなどしていた。

 仁井田堰と呼ばれる秋田平野への幹線用水路の確保は明治期に入ってもさらに重要な整備を要していた。明治27年(1894)、仁井田堰普通水利組合が設立され、同40年(1907)には秋田県中央耕地整理組合を設立。それと合わせて同年より大正2年(1913)まで五カ年にわたって堰堤の修築に巨費が投じられた。翌13年、河辺郡牛島町が秋田市に合併された際、牛島町の平落普通水利組合を併合して堰堤の画期的な改築工事が行われた。大正15年、郡制が廃止され、仁井田村長が管理者に指定される昭和14年(1939)、本堤の保全を図るため、やや下流に副堰堤が新設された。昭和22年(1947)7月には80年来の大洪水に遭い、堰堤の損壊が甚だしく、その復旧や補強に連年、多額の資金が費やされた。  現在、立派な三基の水門の傍らに往時の堰堤跡や副堰堤の名残りが見られる。  大正六年発行の『河邊郡誌』によると、秋田県中央耕地整理組合の項に、「本組合の地区は主として仁井田堰普通水利組合の関係区域にして即ち河邊郡牛島町、仁井田村、四ツ小屋村、川添村、豊島村、上北手村、南秋田郡広山田村の一町六ヶ村に渉れり」とある。

(取材・構成/藤原優太郎)