随想

我らが宝、秋田弁

あゆかわ のぼる(エッセイスト)

 時々文章にしたり、インターネットで発信したり、それらを本にまとめたり、人前で話したり、TVやラジオで素人解説をしたり、秋田弁と遊んでいる。
 もう20年余り続いていて、とてもやめられない。
 そんなことをしていると、たまには思いがけない至福の時と出会うことがある。
 昨年、鹿角市で日本折り紙学会という団体の夏季講習会があった時、呼ばれて話をした。
 主催者から与えられたテーマが、『秋田弁の魅力』。
 たかが折り紙、と思って出掛けたら、されど折り紙。世界規模の学会で、会場には5百人もの会員が全国から集まり、韓国やオランダからもゲスト参加するという大規模な研修会だった。
 2泊3日の研修会の2日目に話をした。
 各県持ち回りで毎年全国から会員が集まる研修会で、同部屋の人たちが、夜を徹して各自の技術の披露とか情報交換をするのが楽しみらしいのだが、今回は2日目の夜は、各地の方言の披露に費やされた、と後日主催者から聞かされて嬉しかった。
 もう一つは数年前、秋田市を会場に行われた全国番茶道の大会。この大会でも主催者の希望で秋田弁の話をした。私の話は最終日の午前中。お昼休みは会場のあちこちでお国言葉談義に花が咲き、名誉会長を努めておられた、秋田県出身の小野清子参議院議員(当時)に、
「久し振りのふるさと言葉で懐しいやら、全国からこられた方々にこんなに喜んで貰って鼻が高いやら…」
 とおっしゃっていただき、恐縮したこともある。
 こんな記憶もある。
 私は、一時、若者向けのタウン情報誌に秋田弁の周辺で戯れる雑文を連載していたが、その頃の話である。
 セリオンリスタを見学していたら、4、5人の若い女性グループに声を掛けられた。
「あゆかわさんですか」
「ハイ」
「ワーッ!」
 もちろん、その後に握手をしたり、頬とホホをくっつけ合ったり、抱き合ったりはしなかったが、有頂天になった。彼女たちは短大生で、そのタウン情報誌の愛読者。私の雑文を毎号読んでくれていたのだった。
 もう一つは、腸閉塞で病院に緊急入院した時。
 集中治療室に運びこまれたのがスタートだったせいと思っていたが、担当して下さった若い先生が徹夜状態で診てくれ、日中も2度3度と来てくれては体の調子を診てくれる。その熱心さにすっかり恐縮してしまった。
 半月近く入院したが、期間中いくつかのスケジュールが入っており、中にどうしても断れないのがあり、市内で行う講演には、先生に許可を貰って、点滴の針を腕に刺したまま出掛け、婦長(当時)に、
「ウチの先生はなんでアンタに親切で、ワガママを聞き入れるんだろう」
と怒られた。私もその訳が分からなかった。
 退院の日、先生に厚くお礼を言うと、
「私はあなたの書いた本を全部読んでいるし、TVもよく見る。タウン情報誌の愛読者で、あなたのファンだ」
 と先生がおっしゃり、腰が抜けるほどびっくりした。

 そんなことが時々あるが、地元の人は概して秋田弁に冷たくて関心も薄い。勿体ないと思っている。
 今もNHKのローカル番組で秋田弁の話をしているが、それ程関心を示してくれない。年配の人はそこそこなのだが、40代から下くらいの若い人は、秋田弁をほとんど知らないか、無視するか、鼻であしらう。
 ところが、4月の放送は、反応が大きかった。『漢字で書けるゾ!秋田弁』というテーマでやったのだ。
 どんな言葉を取り上げたかというと、「淋しい」「退屈だ」を言う「とぜねぇ」。これは、漢字で『徒然』と書く。江戸時代のエッセー集の『徒然草』は、兼好法師が「無聊を慰めるためにつれづれなるままに」書いた。
 「遠慮」を秋田弁では「じンぎする」というが、さて、漢字ではどう書くか。答えは、『辞儀』。国語辞典の『御辞儀』を開くと、「遠慮・辞退」とある。昔の武士などは、「辞儀なしに馳走になる」と言っていたらしい。「どやぐ」もやった。「友達」「同僚」のことで、『同役』と書く。「あなたと私は、上下、主従の関係ではなく、まったく同列ですよ」ということだ。「なぁ、ご同役」。
 これらをNHKホールに来られた人たちに、クイズ形式で書いて貰った。
 正解はなかったが、みなさんが驚き、やがて、「なるほどなぁ」という顔をされた。
 放送が終わってからも、何人かの人に「面白かった」「納得した」と声を掛けられた。特に若い人がびっくりしたようで作戦は成功した。
 こういう言葉は、他にもたくさんある。
 例えば、「びっくり」。秋田弁で「どでん」というが、漢字で書けば『動転』。
 「一回」「一度」を「ふとげぁり」「ひとげぁり」というが、これは、『一返り』。『源氏物語』に出てくる。
 あるいは、旬の山菜や採れたての野菜、美味しく漬けたガッコなどを隣近所から貰うことがあるが、そんな時、「ふとがだげだども…」と言う。この「ふとがだげ」あるいは「ひとがだげ」は、『一片食』。昔は、食事は朝と夕の二食だったといい、そのうちの片方だから『片食』で、「かたき」。秋田弁に、「ふとがだげ」で残っている。
 ついでにもう一つ書けば、18年ほど前、評論家の草柳大蔵さんと、方言の魅力についてTVで対談した時、日本一暖かくて優しい方言と折り紙を付けてくれたのが、「寄ってたんせ」、「見でたんせ」の「たんせ」。
 語源は『賜る』。あの“天王賜杯”の恐れ多い、雅語のような『賜』だ。それが「たもれ」となり秋田弁の「たんえ」「たんしぇ」「たえ」、「たんせ」。「漢字で書けるゾ!秋田弁」という一点で、ほんの少し引き出しを開けただけで、秋田弁はこんなに豊かな言葉であることが分かる。
 ところが、方言は過去に「汚くて悪い言葉」と言われて、追放運動にあった。特に、昭和30年代は、日本の戦後復興の上昇カーブの大きい時で、地方から金の卵と言われる若い労働者が都会に向かった。その若者達が汚くて悪い言葉を使ってつらい思いをしないようにという親心だったのだ。
 さらに、TVの普及で標準語、共通語が全国に広まったことで、方言は瀕死状態になった。
 しかし、ここに来て、息を吹き返してきた。
 再び蘇るかどうかの鍵を握っているのが、知らないから使えないヤングファミリーである。
 蘇らせよう!我らの宝、秋田弁。