会長の言葉

郷土の先覚 会 長 菅原 三朗

 私の郷土、潟上市昭和(旧南秋田郡昭和町)には偉大な先覚が二人おり、その一人が農聖といわれた石川理紀之助翁(1845〜1915年)である。
 翁は、現在の秋田市金足小泉の奈良周喜治の三男として生まれ、21歳の時に現潟上市昭和豊川山田の石川長十郎に婿養子入りをしており、県の農業行政に従事し、米質改良指導、種子交換会(現在の県種苗交換会)の創設など、多くの業績を残した。二県八郡四十九ヵ町村の経済調査、土壌調査を行い、七百三十余册からなる「適産調」を著したのは貴重な資料として、高く評価されている。
 1月18日に招集された第169回通常国会において、福田康夫総理大臣が施政方針演説で「農聖」石川理紀之助の言葉を引用し、粘り強く全力で国政に取り組む決意を述べられた。
 どんな時にも決してあきらめることなく、結果を出すまで努力することの大切さを唱えた「井戸を掘るなら、水が湧くまで掘れ」や「何よりも得がたいのは信頼である。進歩とは厚い信頼でできた巣の中ですくすく育つのだ」と言う石川翁が残した言葉や文献を用い、「信頼という巣を、国民と行政・国民と政治の間につくりたい。私はどんな困難があろうとも、あきらめずに全力で結果を出す努力をしてまいります」と演説の最後を締めくくった。

 常に地域に根ざした農業指導を行い、自ら貧農体験をすることで農民の信頼を得るなど、農村救済活動に生涯をかけた郷土の偉人石川理紀之助翁である。自ら進んで実践し、その中から生まれた言葉の数々や生き方が、没後およそ百年経った今もなお私達の心に生き続け、国、そして私達の進むべき道を示してくれているかのようである。
 翁はまた歌人としても優れた足跡を残している。常に何事にも率先垂範を旨とした指導者として、最も有名な歌は「寝ていて人を起こすこと勿れ」である。
 私達は小学校(昭和13〜18年)当時から、郷土の先覚として石川翁について学んだものであり、翁をたたえた唱歌は今でも記憶している。
『夜半に起きいで業励み、道ゆくひまも文や歌、積める知徳の養いはやがて身を立て名を上げん。
 農家経済人の道、身に行いて世にさとし、村や民をば救いたる功は高し大老農。』
 潟上市郷土文化保存伝習館(石川翁資料館)には石川翁の遺跡と遺書・遺稿、収集物のほか、教育にも力を入れた当時の資料が数多く展示されている。