文化遺産
No.64
旧赤源呉服店

横手市大森町字大森176-1

近代文化遺産  明治39年(1906)に建造された赤れんが造りの商家で、隣接する赤川家本家の赤れんが土蔵(国指定重要文化財)とともに非常に貴重な明治期の遺構である。
 赤源は明治中期、初代赤川源吉氏がこの地の地主であった赤川家本家から分家して呉服屋を営んだのが始まりで、当時の時流に乗った商売は横手の山川呉服店に次ぐ平鹿第二の呉服商であったという。二代目健一郎氏が跡を継いだ直後、昭和17年、第二次世界大戦で将校として出兵し、続いて三代目の源太郎氏も同20年に入隊したため呉服商を営むことが出来なくなったため呉服商は廃業。戦後、健一郎氏は大森町の町長、源太郎氏も農協職員から組合長や町議、平鹿郡畜産連合会会長などの要職に着いた。
 赤源呉服店店舗はそのまま残り、家財道具などの収納庫となっているが、数多くの什器や備品が収められている。その中に明治39年建築時の棟札があり、戸主赤川源吉、棟梁柴田貞吉ほか19人の名が連記されている。
 建物は土蔵造り二階建てで、商家らしく平入り切妻の和小屋形式で内部に見える尺物のケヤキ梁やがっしりした骨組が目を引く。面積は一階部分が84.5平方メートル(約26坪)、二階が41平方メートル(約12.5坪)である。
 赤れんが建築に際し、材料の煉瓦は大阪方面から取り寄せたものという。ただ、大森町本郷にも煉瓦工場があり、それは横手と本荘を結ぶ羽後交通鉄道(横荘線)に利用するために建てられたものという。隣接する赤れんが造りの土蔵は現在、町の管理になり、音楽コンサートなどさまざまなイベントに解放されている。
(取材・構成/藤原優太郎)