会長の言葉

蘖の呟き
(ひこばえのつぶやき)
会 長 菅原 三朗

 「蘖の呟き」は県立秋田高等学校、昭和25年卒同期会「喜寿記念誌」のタイトルである。蘖とは木の切り株や刈り取った草木の根から出る新しい芽のこと。踏まれても切られても、新しい芽を出す活力がある。これこそ戦後のどん底から「疾風怒涛」の人生を送った、われわれ昭和25年卒同期会の記念誌にふさわしいタイトルではなかろうか。
 我同期会は昭和52年以来、1回の休会もなく今年で第31回の「同期会のつどい」が9月15日、秋田市の「協働大町ビル」で開催された。今年は会員152名(既死亡113名)中74名の出席であった。県外からの出席も11名を数えた。31年間もの長期に亘って、毎年半数もの出席者を見ておることは驚異であり、事務局を担当する小林良弘・田中孝一両君の献身的な世話活動には敬服のほかない。「蘖の呟き」寄稿依頼には、「内容は自由、秋田中学入学以来60年余り。この間何かを感じ、何かを思ってこられたと思う、思い出や社会諷刺又は私の履歴書などなんでも結構。喜寿は人生の節目の一つであるが、この後の記念事業はいくら「ひこばえ」でも自信がもてない。それだけに皆さんの『つぶやき』を集めて、昭和25年卒らしい一冊に仕上げてみたい」とある。
 9月15日の同期会のつどいの場で、上梓送付の報告があり、諸兄並びに賛助会員多数より寄稿・

 基金の協力を頂き、本記念誌には400ページ92編の寄稿文や写真を登載することが出来た。本誌は疾風怒濤の時代を生き抜いてきた秋田人の歴史資料として、後世に伝えたいとの思いから秋田市内の公立各図書館に寄贈したとのこと。
 代表幹事の大友康二君は、不幸なのか倖せなのか私達は自分の未来の姿を考えずに生きてきた。めまぐるしい変転の社会は、それに対応の生き方を要求、その多忙さの中に埋没して考える時間のゆとりさえ与えられなかったからだ。
 人は「明治の気質」「大正のロマン」と時代を表現する。とすれば私たちの生きた昭和・平成はいささか品格に欠けるが「調和」とでも言えようか。激動の波に柔軟にしかも多少意固地にバランスをうまく持ち続けた世代と言える。
 秋田中学に入学、秋田高校卒業。手形の校舎は進駐軍に接収され、以来校舎探し放浪の日々が続き、やっと新校舎の一部が出来た時卒業である。それだけに苦労を共にした学友のひとりひとりへの愛しさが強く、たった6年間の日々が80年近い人生の哀歓を育んだ貴重な土壌でもあり、その絆の強さはよくぞ生きたと言い得て崇高であると。
 私も寄稿文「回顧」の中に卒業後、業界に生きて56年間、さまざまな時代の中で全力で取り組んだ思いがあり、まさに「疾風怒涛」の如くであったと記した。