文化遺産
No.61
千秋公園

秋田市千秋矢留町

近代文化遺産
 秋田藩260年の居城跡、久保田城址が県民憩いの公園になったのは明治29年(1896)のことである。3ヶ年計画で県立公園としての整備されたもので、設計は当時、造園家として頭角を現していた長岡安平の手によるものであった。 
 長岡安平は天保3年(1842)、九州大村藩彼杵(長崎県)に生まれた人で、郷土の自然に学び、植物などの専門書を読みあさり、独学で造園の技術を身につけた人という。

明治5年(1872)新潟県令だった楠本正隆が日本で初の都市公園、白山公園の建設を行った時、長岡安平もそれに携わっていたようで、その後、楠本が東京府知事に着任後、明治11年(1878)に長岡を東京府の公園係の技術者として登用したという。
 その時、長岡は芝公園を始め、府下大小ほとんどの公園整備や街路樹の植栽などを行った。さらに秋田県から依頼を受けた久保田城跡の公園設計と整備が大評判となり、全国各地から公園や庭園の設計以来が殺到するようになった。
 同氏は大正14年(1925)に四七歳で没するまで手がけた主な公園は41件、庭園25件、その他史跡、名勝天然記念物の保存、街路樹の育成など緑に関わる幅広い知識と卓越した技術で明治から大正にかけて日本の造園界をリードした。秋田県内でも長岡安平が関わった公園や個人庭園は、横手公園や金照寺山公園(秋田市)、真人公園(横手市増田)などのほか、仙北の池田家庭園(大仙市)も手がけている。
 同氏が設計施工した久保田城跡の公園を「千秋公園」と命名したのは秋田が生んだ偉大な文人狩野良知(大館出身、狩野亨吉の父)である。千秋公園松下門跡の少し下に高さ85センチほどの「長岡安平献檜の碑」が残されている。石碑には、「県公園設計者、東京芝区芝公園内長岡安平、同日本橋区坂本公園内小林宗吉」の名があり、反対側側面に「明治三拾年十月」と彫られている。公園の完成にあたって檜百本を献納したしるしというが、それは残されていない。

(取材・構成/藤原優太郎)