文化遺産
No.60
旧秋田魁新報社

秋田市大町一丁目2-6

近代文化遺産
場所だけは変わっていないが在りし日の新聞社が
ここにあった。
 秋田の近代化遺産として、現在その形態はとどめていないが、秋田の文化の発信地であった秋田魁新報社の社屋を取り上げた。正面入口のファサードなど懐かしさを感じる人も多いと思うが、現在の新しい建物の前にある新聞の掲示板が唯一その名残を感じさせる。
 秋田県の代表的な新聞である秋田魁新報の最前身は明治7年(1874)に創刊された遐邇(かじ)新聞である。その後、明治11年(1878)に秋田遐邇新聞、同15年には秋田日報と改題された。当初は政治的な色合いが強く、野党的立場を明確にしたため厳しい弾圧を受け休刊、発行停止などに追い込まれた。

 その後は、明治20年(1887)、東京専門学校(現早稲田大学)を卒業した井上広居を主筆に招いて秋田町茶町菊之丁の秋田日報社から秋田新報として復刊し、再び県当局と対立を繰り返し発行停止となったりしたが、明治憲法が発布された同22年(1889)に秋田魁新報が創刊されている。
 大町一丁目にあった旧社屋は昭和5年(1930)に清水組(現清水建設)の設計、施工によって建設されたものである。この建物はRC造り、三階建て、平らな陸屋根方式で、鉄筋コンクリート構造の建築物としては県内でもかなり早いほうであった。社屋の目新しい特長は、入口部分のファサードで、表現主義的な装飾を加味し、見方によっては国際主義建築に移行する過渡期の様式を示したものであった。内部の社長室や第一、第二応接室、それに階段に洋式建築風の贅沢な意匠が施されていた。
 現在、当時の新聞社の面影はまったくないが、県内における近代化建築の先進的なものであった。小ぎれいな現代ビルを見るにつけても貴重な近代化遺産を残そうとしなかった秋田の精神風土を象徴するものの一つではないかというのが正直な感想である。

(取材・構成/藤原優太郎)