その後は、明治20年(1887)、東京専門学校(現早稲田大学)を卒業した井上広居を主筆に招いて秋田町茶町菊之丁の秋田日報社から秋田新報として復刊し、再び県当局と対立を繰り返し発行停止となったりしたが、明治憲法が発布された同22年(1889)に秋田魁新報が創刊されている。
大町一丁目にあった旧社屋は昭和5年(1930)に清水組(現清水建設)の設計、施工によって建設されたものである。この建物はRC造り、三階建て、平らな陸屋根方式で、鉄筋コンクリート構造の建築物としては県内でもかなり早いほうであった。社屋の目新しい特長は、入口部分のファサードで、表現主義的な装飾を加味し、見方によっては国際主義建築に移行する過渡期の様式を示したものであった。内部の社長室や第一、第二応接室、それに階段に洋式建築風の贅沢な意匠が施されていた。
現在、当時の新聞社の面影はまったくないが、県内における近代化建築の先進的なものであった。小ぎれいな現代ビルを見るにつけても貴重な近代化遺産を残そうとしなかった秋田の精神風土を象徴するものの一つではないかというのが正直な感想である。
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