随想
平成の大合併の
後遺症・市の名前
あゆかわ のぼる(エッセイスト)

 

 ラジオの仕事で盛岡市にゆく事になった時、ついでに世界遺産に申請して話題になっている『藤原三代』の跡を訪ねてみようと思った。
 取り敢えず、NHK-TVの大河ドラマ『炎立つ』のロケ地として作り、それを観光地にした『藤原の郷』に行く事にして、どこにあるのか探し始めたが、岩手県にはいろいろお世話になっているのに、地図音痴、歴史音痴としては、手掛かりが掴めない。
 確か、『江刺市』という、北海道の市と間違いそうな名前だった事を思い出し、気を取り直して探し始めるが、その江刺市がなくなっている。平成の大合併でどこかと一緒になり、名前が変わったらしい。しかし、変わった名前が分からない。仕方がないから、旧・江刺市に電話して訊くと、「オーシューシになった」と言う。一瞬、『欧州』を想像したが『奧州』と書くという。なるほど“奥州藤原三代”か。それにしても大時代的な名前で、少々恐れ入る。 
 先日、TVのニュースを見ていた妻が、
「えっ、中国?」
 とスットンキョウな声を上げたので、何事かと訊くと、
「ウンナン市ですって」。
 日本のどこかに、そんな名前の市があって『雲南市』と書くらしい。そう言えば『南アルプス市』という所もある。国際的になったものだ。
 青森県には、『つがる市』が誕生した。
『津軽』は、いろんな意味で全国銘柄で、津軽は、東西南北の四つの郡に分かれ、そこに一つか二つの市がくっついて、例えば『津軽リンゴ』だとか『津軽民謡』だとか、それぞれの個性を発信している。しかし、『つがる市』が出来てしまえば、その『津軽』の魅力が色褪せてしまいはしないかと、かつて10年近くかの地で暮らした津軽大好き人間としては、少し心配になる。
 そこら辺を慮って、ひらがなの『つがる市』なのか。
 よその事は言えない。秋田県だって、現・仙北市が、当初、『みちのく市』と名付けようとして全国の笑いモノになり、慌てて取りやめたケースもある。その『仙北市』だって、『つがる市』を笑えない。『仙北平野』とか『仙北民謡』、あるいは『穀倉地帯』の代名詞として『仙北』が使われているのに、一つの市の名前になって矮小化されてしまった。合併前に仙北町があったが、町だと規模が小さいからまだ許される。
 ついでに言えば、秋田県には『平鹿地方』が存在しなくなった。みんな横手市に入ってしまったからだ。この場合、日本一美味だと評判の『平鹿リンゴ』はどうなるのか。『横手リンゴ』と呼び名を変えるのか。まさか、味と名前が定着した名を変えるほど愚かではないだろう。かと言って、やがて、「平鹿リンゴってどこの産?」と問われて、「実は、平成の大合併で、リンゴの産地の平鹿町が横手市と合併しまして……」と説明しなければならないとしたら、皮を剥いた瑞々しいリンゴ酸で赤くなっちまうじゃないか。
 もう一つ。先に挙げた『つがる市』のような、ひらがな名。これがなにを意味するのか分からない。
 秋田県と縁薄からざる茨城県には、『かすみがせき市』とか、『ちくばみらい市』などという長ったらしいひらがな名の市が出来た。


特に『かすみがせき市』の場合、何故、『霞ヶ関市』ではいけないのか。霞ヶ関町ともう一つの町が一緒になって出来た市らしいが、たぶん霞ヶ関町が、大きくて知名度が高い。しかし、だからと言って漢字名を通せば、もう一つの町が面白くなくて合併話が壊れかねない、結果として妥協の産物なのだろう。全国にたくさんあるひらがな名の市や町のほとんどが、そういう理由らしい。
 秋田県にもあって『にかほ市』。
 私は当時、『仁賀保市』『象潟市』『白瀬市』。いっそ『TDK市』にしたら、とも思った。愛知県に『豊田市』があるのだから、ネェ。落ち着いたのが、考えられるうちで最も安易な『にかほ市』。
 一帯を仁賀保地区と呼び、県立高校を仁賀保高校と言っているのに、最も意味の分からないものになってしまった。これも、妥協の産物だろう。
 ついでにもう一つ二つ言わせて貰えば、市のイメージがなかなか浮かばない『由利本荘市』と『北秋田市』。これはいかにも、貼り合せと行政上の“記号”。
 それともう一つは、『八峰町』。
 これも全国至る所にある、合併した旧・町村名の頭文字を並べた名前。それにしても、この名前、末代まで苦労するだろうなぁ。なぜかって?訳は、当事者も外野も分かっている事だから、敢えてここでは口を閉ざすよ。
 平成の大合併で、今までの市町村の多くが消えて新しい名前が付いた。ところが、そのせいで、市町村の魅力探りに大変苦労するようになった。秋田県の例で言えば、『象潟』とか、『角館』とか、名前を聞いただけでそこをイメージ出来るブランド名を次々と捨てた。
 という事は、新しい市町村にとっては、改めて自分を、場合によっては一から売り込まなければならない訳で、大難儀しなければならないという事でもある。
 県内ならなんとかなるが、岩手県とか青森県の例でも分かる通り、県境を超えると情報の取り方が難しくなるから、立ち往生し、場合によっては探すのを諦める。
 これが、観光や特産品の売り込みに、大きなマイナス作用として働く。
 この事は、合併の最大の懸念点だったのだが、ここにきて、顕在化している。
 各地を歩いていて、行政も、幾つかの町や村が一緒になったことで、遠慮し合ったり気兼ねしたりして、個性を絞りきれないでいる。だから、カオや目玉を作るのにいらぬ苦労している様子がうかがえ、住民から「オラホの町のカオが分からない」という声を聞く。
 住民が戸惑っているのだ。
 さて。横道に逸れ過ぎて、言いたい事から遥かに離れて、けものみちに迷い込んでしまった。
 その、『藤原三代』の藤原の郷のある所は奥州市と分かったが、主たる行き先は中尊寺と毛越寺のある平泉だ。
 奥州市に辿り着くのに大難儀したせいか、地図音痴、歴史音痴、それに時代の流れについてゆけないアナログ人間の部分が露出して、『平泉』が市なのか町なのか、どこと合併して何という名前になったのか、迷路に入ってしまった。
 しばしして、合併などしていなくて、『平泉町』。
 やっと、一泊二日の小さな旅に出る事が出来た。