文化遺産
No.58
奈曽川砂防ダム群

にかほ市象潟横岡

近代文化遺産

 昭和8年(1933)、10万円の予算で鳥海川と奈曽川上流部に秋田県で初めての砂防工事が実施された。この昭和初期というのは未曾有の不況と農村の疲弊で極端に苦しい時代であった。砂防工事は農村を貧困から救うための救農土木事業の一環であった。同時に鳥海山麓など上流山間部において相次ぐ災害などで砂防事業の必要性は強く叫ばれていた。

 

 奈曽川の源流部は深いV字谷を形成し、左右両岸とも土砂や岩石崩壊の連続で、大雨のたびに土石流が発生し、下流の集落や農地に大きな被害をもたらしていた。そこで関係者の幾度にわたる誓願によって秋田県の救農土木事業として砂防ダム建設に乗り出したものであった。
 奈曽川水系の第1号砂防ダムは横岡字落上(おとしのうえ)地内に着工した堰堤である。横岡の集落から5キロメートルほど奈曽川をさかのぼったあたりは急峻な断崖が両岸に迫り、落上の地名そのままである。ここに高さ12メートル、長さ58メートル、貯砂量11万4000立方メートルのダムが造られた。
 奈曽川水系ではその後次々に砂防ダムが建設された。第2号は横岡字山舘地内のもので昭和11年に完工。第3号は同14年の本郷字上川原であった。また同16年から24年にかけては横岡・本郷地内に床止工や護岸工、河床掘削などが行われ、昭和26年には本郷に第4号ダムが完成している。
 奈曽川は鳥海山の稲倉岳と御浜上部の扇子森間の鞍部、通称蟻の戸渡りが最上流の源となるが、とにかくこのV字谷の険しさは凄まじい。土砂の崩壊も並大抵のものではなく、これに立ち向かった先人たちの苦労もまた大変なものであっただろう。こうした砂防事業に携わった先人の偉業を後生に伝えようと、本郷の奈曽川河川公園に、平成11年、記念モニュメントが建立された。黒御影石の立派な記念碑もそれはそれで意味深いものだが、奈曽川の林道を奥地に入り、源流の様子を目の当たりにし、新旧大小の砂防ダムを見学したほうがよりリアリティをもって先人の魂が迫ってくることは間違いないものである。

(取材・構成/藤原優太郎)