随想
スペインの祭り
酢屋 潔

 スペインには祭が多い。何日も続く大規模な祭から風変りな祭まで色々である。
 セビリヤのフェリヤはテレビなどでも放映されて有名であるがどちらかというと女性中心の祭でフラメンコの衣裳をまとったセニョリータの姿が群れてまことに華やかである。
 又パンプローナでは牛と一緒に町中を走りまわりまことに勇壮であり毎年怪我人が出る程危いといわれている。
 その他にもトマトをトラックの荷台一杯に積んで投げ合ったり大きな人形を燃やしたり色々様々である。
 しかし、これから私が書こうとしている祭はツアーの途中たまたま出あった平凡だが二十数年経った今でも心に強く印象づけられている祭である。
 その時の我々のツアーはポルトガルのリスボンからはじまった。リスボンの名は戦時中ポルトガルが中立国だった関係で世界の情報はリスボンを通じて入ってきた。そんな関係でリスボンの名はお年寄りにはなじみの名前だった。
 それはさておいてリスボンの観光を二日ですましバスでスペインに入りセビリヤに夜着いた。次の日セビリヤの観光をすまし翌朝セビリヤを出発して夕方グラナダにたどり着いた。
 グラナダといえばアルハンブラとなっている。このアルハンブラ観光は明日ゆっくりすることになっているので我々は今夜ゆっくりホテルで休もうとしていた。ところがスペイン語の堪能な若い娘の添乗員が興奮気味に今夜お祭があるそうなので、こんな機会はめったにないから是非見物に行こうとさそった。
 我々一行は総勢十二名で年配の者が多い。バス旅行でつかれているのでお祭はやめようという人も居ったがこの添乗員の熱意に負けて祭り見物となった。
 お祭といえば世界各国共通で宗教に関するものが多い。スペインの主たる宗教はカソリックであるが聖母信仰が盛んであるという。
 添乗員からそんなことを聞き乍ら我々は会場に行くことにした。
 会場はメインストリートのグラン・ビア・デ・コロンでホテルから歩いて楽に行ける。
 この地方はグラナダを含めてアンダルシヤ地方という。スペインの南都でセビリヤ、コルドバなども含まれている。有名なコスタ・デル・ソルもこの地方の海岸で観光客でにぎわっている。コスタ・デル・ソルとは太陽の海岸という意味でさんさんたる陽光で有名である。セビリヤに着いた時土地のガイドがもう一ヶ月間以上も雨が降らないとなげいていた。
 我々がメインストリートまで歩いたのは夕方間近い時間だったがアンダルシヤの灼熱の太陽はまだその勢を失わず強烈に通りを照らしていた。しかし、空気が乾燥しているせいか日陰に入るとひやっとして気持が良い。
 現地はまだ人通りがまばらで我々のようなツアーの客とか一目で外国人とわかる人が多く見られた。通りを進んで行くと右側に折りたたみ式の椅子がずらりと並べてあった。
 女達は「あら、スペインの人は親切ね、座りましょうよ」などと云い乍ら座ったので一同皆座ることにした。私ははじっこだったので隣りはアメリカ人らしい夫婦が座っていた。
 しばらく無駄話をしていたらいつの間にか歩道の人通りが多くなり灼熱の太陽も影をひそめていた。しかし、もう七時にもなるのに日が暮れるにはまだまだと思わせる街のただずまいだった。
 そんな折メキシコ風のひげをはやした褐色はだの中年男が座っている人に何やら話をしている。どうやらショバ代を取っているらしい。やがて我々のところに来て五本の指を出した。五百ペヤタというのである。これは日本のテキヤのような地廻りであろうか。我々は万国共通だね、などと話し合って笑った。



 そんな話をしている間にいつの間にか道の両側を長いローソクを持った男女が列をなして歩いている。ローソクの長さは五十籵もあるだろうか、そして太い。よく見るとこの人達正装しているようだがにこりともしない。しかし、晴着の子供は親にたしなめられても活発に動きまわっていた。
 行列は延々と続き絶えることはない。ツアーの仲間の誰かがはだしの人もおる、と言ったので目をこらして見たらポツンポツンとはだしが見えた。貧乏人にも見えないしジプシーらしくもないしと思っていたら、やがてそれは去年肉親を亡くされた人だ、との情報がもたらされた。発信は彼の添乗員らしい。
 さて、ローソクを持った人の列は続々と続き服装も段々立派になってきた。やがてローソクの灯が少し目に付く頃どよめきが起り旗をかかげた少年・少女を先頭に現れたのは少年少女のブラスバンドだった。白い服に身をつつみ清涼感にあふれていた。よく注意して見ていると行列の人は男より女の方が断然多い。なぜだろうと博学のコンダクターにたずねたが知らないという。
 ようやくあたりを夕闇がつつむ頃歩道は人であふれ通りに面したビルの窓という窓は人の顔で鈴なりになっている。
 又軽いどよめきが伝わってくると白い僧服の人が鉾のようなものをささげて横一列に並んで進んで来た。そしてその後から黒い服を着た一団がゆったりと歩いて来た。その中には市長をはじめ市の有力者の殆どが含まれているというからいよいよおみこしの登場と期待が高まった。おみこしに乗っているのはこの町の守護神であるという。ところがこのお偉方道路の真中で会議をはじめた。ツアーの一行は今更何の会議だろうといささかあきれ顔だったが行列の間をつめているようでもあった。
 両側のローソクをともした行列は依然として絶えることなく見物人はみこしの到来を今か今かと待っていた。
 その時だった何か天空からのざわめきのようでもあり又地から伝ってくる地鳴りのようでもある合成音が我々の五感にひびき段々強さを増して大歓声となった。このざわめきが言葉となってリーヤ、リーヤの大歓声となる中を正装した若者にかつがれておみこしの守護神が現れた。頭に金の冠を頂き全襴のケープまとった若い女性姿だった。
 これぞまさしくマリヤ様だ。スペインでは大多数がカソリックだがその中でもマリヤ信仰が多い。そこで先程のリーヤの声はマリーヤと叫んでいたことがわかった。しかしこの熱狂は何々だろう。皆憑かれたようにマリーヤと叫んで十字を切っている。
 我々はこの異状な熱狂に圧倒されて只呆然と守護神の通り過ぎるのを見守っているしかなかった。おみこしが通り過ぎると人々は波が引く如く通りから引いて小路へと押し寄せていった。
 我々も小路のセビリヤというレストランに入りビー(ワイン)とガンバス(エビ)で食事をとり先程の祭りについて語り合った。
 スペインは大まかにいえば大昔ローマに征服されていたが次いで西ゴート族に占領され、更にイスラムに侵入され(約八百年)一四九二年ようやくレコンキスタ(国土回復運動)により現在の状態になった。キリスト教は西ゴート族がもたらしたものといわれている。このキリスト教徒がイスラムに圧迫されて周辺地区でかろうじて余命を保っていた。この人達が長い年月国土回復運動により領土を回復した。この何百年に亘る艱難辛苦が今日のスペインの宗教に大きな影響を与えているのではないか。我々の夕食は時ならぬ異国の祭りの熱気に当られて柄にもない宗教談義になってしまった。