文化遺産
No.56
三浦家住宅

秋田市金足黒川字黒川178

近代文化遺産
 秋田市近郊の農村地帯にある農家屋敷で、金足小泉潟の旧奈良家や太平の旧嵯峨家と並ぶ県内屈指の豪農屋敷を見せるのが黒川の旧三浦家である。
 大正初期、草津川の上流にある黒川油田が大噴出をした頃、その油井開発のために黒川村はいっとき賑わいを見せた。その頃、三浦家では座敷の一角を改造して「羽後黒川郵便局」を開設、先端的な文化の担い手となった。
 三浦家は藩政期に代々、黒川村の肝煎を務めた家柄で、地区の中心的な存在であった。元をたどると、同家は相模三浦半島の出自とされ、鎌倉時代以降、一族は各地に定住。八郎潟町高岳山の麓にある浦城の城主が三浦氏で、黒川三浦氏は戦国時代の天正年間(1573〜92)、この地で帰農したと伝えられる。
 集落の中心にある高台は中世の黒川館跡で、そこに三浦家の広い屋敷が構えられた。三浦家は大きな主屋(母屋)を始め、米蔵、文庫蔵、味噌蔵、土蔵、馬小屋、鎮守である稲荷社、表門、庭園などが見事な広がりを見せている。母屋は文久元年(1861)の建築とされるが、明治二十年代から大正にかけて瓦屋根をもつ米蔵や土蔵などが建造、修復された。
 また、三浦家は2000年から4年の期間をかけて大々的な復元工事がなされた。中でも広さ百七十坪(561平方m)、木造茅葺き、平屋建て、両中門造り(本屋に馬屋中門と座敷中門が突出した凹形の造り)の主屋は、江戸時代末期の豪農屋敷として東北でも最大級のものといわれている。茅葺きの修復工事に際しては、北上川河口や富士山麓から膨大な量の茅を調達し、秋田県地方独特の縄締工法で屋根が葺き替えられた。また粗壁塗りの米蔵や土蔵は壁の保護のために白漆喰塗りが施された。さらに文庫蔵の入口扉は非常に手間のかかる黒漆喰仕上げとなっている。
 住宅内部は大黒柱の立つ広い土間から接客用のオエ(御上)、オジョメと呼ばれた常間、奥座敷や中座敷などの各座敷、仏間や書院造りの上賓客の座敷などが配置される伝統的な大農家屋敷の典型様式となっている。
 国重要文化財の指定を受けた三浦家住宅は、現在、「三浦館保存会」の管理になり、不定期公開となっている。
(取材・構成/藤原優太郎)