会長の言葉

海からのメッセージ 会 長 菅原 三朗

 県建設業協会、恒例の2007新春講演会が2月19日、水中写真家中村征夫氏を講師に「海からのメッセージ」の演題で開催された。中村征夫氏は1945年秋田県潟上市生れで、20歳の時に独学で潜水と水中写真を始められた著名な水中写真家であり、海の報道写真家としても活躍。数多くの受賞歴や著書も多数ある。
 中村さんははじめに今日迄40年に及ぶ写真家人生の中で、只一度だけもう水中写真家をやめようと思ったことがある。それは平成5年7月12日北海道奥尻島でNHKの特集番組にレポーターとして出演していた時、その夜北海道南西沖地震に遭遇した。地震が起きた午後10時17分頃、堤防から約30mの民家でNHKのスタッフとビデオの試写をしていた。横揺れから突然激しい縦揺れとなった。電気は切れ部屋は真っ暗、壁に張り付かないと立っていられない状態で揺れは30秒近く続いた。宿の女将さんが逃げてえと泣かんばかりの声で絶叫。水中カメラなど機械が気がかりでいると、「何をもたもたしているの、逃げてえ」と怒鳴られた。外ではじいちゃん・ばあちゃんと住民の声が飛び交っていた。「ゴー」と言う津波の音が、真っ暗で何も見えず恐怖感を一層募らせる。はだしのまま、裏山を必死で登った。その途中海が真っ黒い雲のように覆いかぶさってきたかと思った。「バーン」と津波が覆い被さる大きな音がした。地震発生からわずか5分後だった。さらに裏山を登り地元の人から、この高さなら大丈夫と言われ初めて助かったとほっとした。集った住民は涙を流しながらわが家が燃えさかるのを見つめていた。堤防も宿も跡形もなく消え去っていた。水中カメラなど8台を宿に残しての脱出であった。


 冒頭このような体験談が語られ、次からスライドを使用しての講演となった。知床半島に集ってくるカラフトマス群の写真が写し出された。2005年知床半島が海域の一部も含まれて世界遺産に指定された。この認定は世界でもめずらしい例である。その最大の理由は海の恵みが知床半島の森の自然を育んでいると認められたことにある。通常では森の恵みが海を育てていると言われている。豊富な植物性プランクトンが川や地下水を通じて海に流れ込み、海洋の生態系に大きな影響を与えていると考えられているからだ。だが知床はそればかりではない。冬にはロシアのアムール川が凍りつき、その豊富な栄養を含んだ水が流氷となって知床半島を覆い尽くす。流氷とともにタラをはじめ多くの魚が知床半島に姿を現すのには理由がある。接岸した流氷を海中から見上げると黄緑色に変色している。これは流氷の中に溶け込んだアイスアルジー(植物性プランクトン)が光合成をして増殖をはじめたからである。その植物性プランクトンを食べようとたくさんの動物性プランクトンが沿岸に集まってくる。それを小魚が食べ、ひとまわり大きな魚が小魚を捕食していく。初秋の9月沿岸にはサケやカラフトマスなどが産卵のため河口域に集まってくる。遡上をはじめたサケやカラフトマスは待ち受けていたヒグマに次々と捕らえられ、栄養価の高いイクラ以外はその場に放置されてしまう。そのおこぼれをキタキツネなど、他の小動物が森へと持ち帰る。この時期の餌の魚はいくらでも手に入るので、森のあちらこちらに魚の残骸が散乱することになる。それらはやがて土となり、肥しとなって森を育てるのだ。知床半島の世界自然遺産に、海の一部も指定された理由はここにある。と解説した。