文化遺産
No.54
木内百貨店

秋田市中通1丁目3−1

近代文化遺産  明治22年(1889)、元秋田藩藩士であった木内家の木内俊茂が、茶や紙、文具などを扱う木内商店として開業したのが木内百貨店の始まりである。その後の沿革をみると、同43年(1910)、秋田市では唯一のウインドー付き店舗を設けた。昭和7年(1932)に合資会社木内雑貨店、同26年(1951)合資会社木内と改称、同34年(1959)に株式会社木内に改組した。


 昭和30年から鉄筋コンクリート3階建ての新築工事が始まり、同47年に近代的な大規模デパートが完成した。木内は全国的にも名をはせた地方デパートで、昭和33年には秋田県内初のエスカレーターを設置。エスカレーターガールのいるデパートとして人気を博した。また、3階フロアの大型食堂のお子様ランチや台付きのソフトクリーム、さらには屋上に展開された観覧車など遊園地的な遊び場と展望台、ネオンサインなどもかなり珍しいものであった。
 木内デパートは全盛の昭和40〜50年代に従業員400人、店舗面積7918平方メートル、年間売上高は130億円に達した。木内の2代目木内トモ社長は湯沢市赤須政教の長女で、明治39年(1906)木内隆一に嫁ぎ、昭和25年、夫の死後、社長に就任、社業の発展に努める傍ら、教育振興に熱心で、長年にわたって匿名で育英資金の提供を続けたことは有名である。

 また、木内は秋田を代表する老舗デパートとして贈答品の市場占拠率が非常に高く、木内の包装紙がもてはやされた。現在は1階売場のみの営業を続けているが、それは広小路側入口にある数本の大理石の柱を見ても分かるように古くからの格式は失われていない。秋田市の代表的商店街、広小路の衰退を木内デパート縮小のせいにする向きもあるが、そうしたのは新しもの好きの秋田の消費者自身であり、その責任もまた大きいといえよう。

(取材・構成/藤原優太郎)