随想
戯言・繰言・独言
あゆかわ のぼる(エッセイスト)

 取材や講演などで、県内外を歩きまわり、いろんな人たちと会う。
 会って意気投合すると「また会いましょう」などとお互いに手を握り合ったりする。
 なにかの団体の集まりで話をした時など、パーティーで酒を酌み交わしながら、時々、
「私の方でもぜひ企画しますから、お出で下さい」
 と声を掛けられ、それが実現することがある。例えば、県北支部で行われた会合に呼ばれて行って、そこで出会った人から声が掛かって、県南に出掛けたり、その逆があったり、その人が関係する別の団体に呼ばれたりして、ネットワークが広がる。
 そういう連鎖が何回か続くことがある。
 これは嬉しい。
 もう一つ。
「リンゴ農家です。秋に収穫したら極上のものを贈呈します」
とか、
「○百年続いている菓子屋のおやじです。今度送りますので、ぜひ食べてみて、ご批評をお願いします」
 などと言われ、名刺交換することが度々ある。しかし、こちらの方は、一度も送られてきたことがない。
 食い意地の汚い私は、最初の頃はひたすら心待ちにしていたものだが、度重なるにつれて、期待しないことにし、今では、
「リップサービスだったな」と思うことにしている。
 こういうことは他の人にも多いと見えて、数年前、ある雑誌を読んでいたら、高名な栄養学の先生もそういうご経験が多いらしく、エッセイの中で、「一度も届いたことがない」と書いておられた。
 一方で、予期しないこともあって、翌朝、ホテルに人が訪ねてきて、
「昨夜の話には、励まされることが多かった。私の気持ちです」
 と、米や野菜を持ってきてくれる人や、ある日、記憶にない差出人からの宅配便が届き、恐る恐る開けてみると、地酒とかその土地の特産品が入っていて、添えられた手紙に、
「○月○日のお話は勉強になりました」
 と書いてあり、スケジュール表を見ると、地域の団体の集まりに話をしに行っていたりする。こんな時は、自らの話の、虚仮脅しと内容の薄さを仭置いて、涙が出るほど嬉しくなる。
 こんなこともある。
 このたびの平成の大合併でなくなったある町は不思議なところで、その余波に今も戸惑っている。
 この町は、私という人間に興味があるらしく、ある時は役場の総務課から、別の時は教育委員会から、あるいは商工会から、または、この町にある大きな社会福祉施設から。民間団体からもあったような気がするが、研修会やイベントでの講演の打診があり、そのいずれも実現したことがない。
 更に、というのもなんだが、5年くらい前だったかしら、あるパーティーでその町にある造り酒屋の幹部と同じテーブルになり、話が弾んだ。そして、その幹部が、
「何にもないが酒だけはふんだんにある。酒を酌み交わしながら、町の若い衆と夜明かしでトコトン話をする機会を設ければきてくれるか」
 と言うので、若者たちの考え方や行動に関心のある私は、
「願ってもないことだ。喜んで行く」
 と返事をした。 しかし,それはなぜか具体化しなかった。


 件の幹部と一昨年、また会った。別に数年前の話をぶり返した訳ではないはないが、その時は、町の交流施設の施設長も一緒だったので、二人は、
「今度こそ実現します」
 と、会場をその施設にすることまで決めた。しかし、その後、梨の飛礫。2年になる。
 ネ、不思議な町でしょ。
 いつかは、これもパーティーだったが、テーブルの両隣りに、ある町の町長が座って、二人が各々、
「職員研修にぜひ」
「町の行事の時に呼びます」
 と言われたが、声が掛からないまま、やがて、平成の合併で二つの町は消えてしまった。
 でも、これらは、実害がないから、笑い話で住む。
 時々、実害っぽいこともある。
 これもパーティーだった。
 一昨年だったかしら。知人が何かで表彰され、その祝賀会が秋田市内のホテルで開かれた時のことだった。
 大曲市の花火業者が、名刺持参で私の席にやってきて、
「ぜひ、日本一の花火を見にきて下さい。後で正式に招待するので、8月の最終土曜日を空けておいて下さい」
 とおっしゃる。
 私は、大曲の花火をじっくり見たことがなかったので、小躍りして喜んだ。しかし、その後、待っても待っても案内がこなかった。後からその日に仕事の依頼があったが、断って待っていたのに。
 一応、去年も今年も、淡い期待をしたがやっぱり案内はこなかった。
 こういうことは電話で催促も出来ないし、ただ、その時貰った名刺を眺めながら途方に暮れるしかない。
 あれは、何だったんだろう。私をオチョクッタのかしら。
 ついでにもう一つ、もっと生々しい奴。
 自宅に一本の電話が入ったのは、9月の中頃だった。
 電話してきたのはある企画会社で、国の出先機関がバックアップするNPO法人が主催するシンポジウムが10月末に行われる。その時のパネルディスカッションのパネラーになってほしい。現在企画段階なので、決定ではないが、その日を仮り押さえさせてほしい、ということだった。
 県を跨いだ交流を促進しようというシンポジウムで、私も、その問題については長い間関心を持ち、行動したり発言したりしてきているし、バックアップする国の出先機関は、かつて何度も関係する委員を務めたり、講演を引き受けて知恵や汗を出したこともあり、久し振りに役に立てるかな、と思い、二つ返事で引き受けた。
 引き受けた後で、一つは植樹のボランティア活動をしているグループから、行事への出席を要請され、もう一つ、田園を借りて無農薬米を作っている仲間たちの収穫祭の案内も貰った。植樹のボランティアグループへは丁重な断りの返事をし、収穫祭は、中心メンバーの中に友人がいるので、事情を話し、「断られれば参加する」と返事をしておいたが、結局は企画会社から何の連絡もないまま、そのシンポジウムの日が過ぎた。
 こういう時は、「どうなりましたか?」と問い合わせるものなのだろうか。
 いずれにしても、営業妨害されているようで不快なものだ。
 いやがらせなのだろうか。
 あるいはいじめなのかしら。
 それとも、私はまだ青臭くて、世間というのは、そういうものなのだろうか。