文化遺産
No.53
井坂記念館
能代市御指南町 井坂公園内

近代文化遺産

「木都能代」といわれる元を作った秋田木材株式会社(秋木)の創始者、井坂直幹(いさかなおもと・1860〜1921)の邸宅敷地内に移転された旧文庫蔵である。能代は相次ぐ大火で町並の形態をほとんど失っているが、井坂邸も昭和24年の大火で焼失したが、敷地内(5610平方m)に唯一残された建築物が文庫蔵であった。木造モルタル二階建て、収蔵室18平方m1室、展示室138平方m2室となっている。

 木都の父とされる井坂直幹が能代に来たのは明治22年(1889)、林産商会能代支店長として赴任した29歳の時である。井坂直幹は茨城県水戸市渋井町に生まれ、明治14年(1881)福沢諭吉の慶應義塾に学び東京の時事新報社に入社。その後、日本土木会社に移り、大倉財閥の祖、大倉喜八郎の秘書として実業界に入った。

林産商会解散後も能代にとどまり能代木材合資会社や能代挽材合資会社と次々に事業展開してそれまでの木挽製材から効率的な機械製材を始めた。明治40年(1907)には三つの会社を合併させ秋田木材株式会社を創立した。
 井坂邸はそうした事業が展開される中で1700坪の敷地に建てられた。現在の御指南町から桧山川をはさんで中川原一帯に広がる秋木の工場群や土場、製品置場など、古い写真を見ると壮観なものがあある。現在は井坂公園として能代市の管理となっているが、記念館(4月〜11月開館)には井坂直幹関係資料と木材関係の文書資料、民俗資料が数多く収蔵されている。

近代文化遺産
(取材・構成/藤原優太郎)