随想
心臓破りの出羽三山
藤原 優太郎

 猛暑の続いたこの夏、モノノケに憑かれたように山々を登りまくった。ほとんど秋田近辺の山だが、鳥海山から焼石岳、和賀岳、森吉山、秋田駒ヶ岳、乳頭山、栗駒山など、この夏2ケ月間に登った山の累計高度は8,850メートルのエベレストを遥かに凌ぐものとなっていた。
 それぞれの登山は目的がはっきりしていて大半は義務を伴う仕事であった。山はいつでもどこでも楽しい反面、体力や年齢、その日のコンディションなどあまり考慮できない無茶な行動も多かった。
 8月の終わり、酷い暑さが去って少し涼しい風が吹き抜けるようになった。人間の身体は意外に順応性に富むものだが、こうした季節の変り目というのが自分にとっては敵である。
 ほっとした心の変化、その隙間を見透かすようなタイミングで心臓が軋みの音を発した。
 生まれて以来、正確にいうと母胎にいた時から、ただの一度も休むことなく動き続け、マッチポンプの役目を果たしてきた器官である。
 「心臓部」というその言葉通り、生命の根元であるのはまぎれもない事実。
 私の心臓が悲鳴を上げ、異常をきたした時、自覚症状としてはそれほど苦しいものではなかった。しかし急きょ診察してくれた専門医師の所見は「心筋梗塞一歩手前、いつ起こっても不思議じゃない」という重大なものだった。一時的に危機を回避した瞬間から、即安静、入院加療を宣告され不本意ながら病室に監禁される身となった。
 私の人生は還暦を過ぎて3年。その中で過激な山登り歴が45年。幾多の心臓破りの丘を無事に乗り越えてきた。ある時は強心臓、場合によっては蚤の心臓と使い分け、よくもここまで持ち堪えたものとの感慨もある。
 当然のことながら、人間の肉体は(精神もそうだが)年齢と共に衰える。その自覚と認識が私には少し足りなかったようだ。過信が過誤を生み、年齢の割には若いというおだてに乗った自分がここに居る。
 マイ心臓トラブル勃発の直前、1泊2日で山形県の月山、湯殿山の六十里越街道を歩いて来た。それほどきつい行程ではないが、同行者数人のペースメーカーを務めた自分。それも空恐ろしいシャレとなった感がある。
 山から帰って翌日の夜、胸が締めつけられるような痛みを覚えた。それは胸ドキや胸キュンとさして変わらない軽度のものだったが、それに私は敏感だった。理由は突然の心筋梗塞で命を絶った父の姿が頭に残っているからである。日頃から同じ轍を踏んではならないと注意深くはなっていた。しかし、病魔とは常に非情なものである。

湯殿山連峰
湯殿山連峰




 不安定狭心症と診断された突発的発作は、さらに起こると死に直結する例が多いという。だからこそ絶対安静の緊急処置だったのだろう。今はカテーテル検査と経皮的冠動脈拡張術治療に生命を預けるしかない。実はこの原稿、病室のベッドの上で書いている。
 長い山人生の中で、病気以外に命が危険にさらされたことは一、二度ばかりではない。そのせいか、自分の場合、死そのものに対する不安や恐怖は意外に希薄である。このあっさり感は別に命を粗末にしているという意味ではない。ジタバタしても始まらない、いつでもどこか開き直った自分がそこにいる。

 この夏、連続した過酷な山歩きの疲労蓄積が今回の危機的故障の一因だとしたら、直近の月山、湯殿山山行がなぜか因縁めいたものになってしまう。
 月山や湯殿山といえば、いわずとも昔から出羽三山信仰の霊場として栄えた山である。
 はたまた森敦の『月山』をひもとくまでもなく、古来、死者の行く「あの世の山」とされてきた。今でも熱心な出羽三山信仰者たちは、白装束を身にまとい、俗界とある訣別を心に期して山入りする。日本の古い山岳信仰のかたちがここには残されている。
 今度の私たちの山行は六十里越の街道歩きが主目的で、月山のような死後の世界や結界論とは無縁のものであった。ただ私自身の場合、結果的に、やや大げさかも知れないが、死を予感させるような偶然の重なりが「死者の山、月山」を意識させていたようだ。
 ふたたび森敦の『月山』から……。
 「月山はこの眺めからまたの名を臥牛山と呼び、臥した牛の北に向けて垂れた首を羽黒山、その背にあたる頂を特に月山、尻に至って太ももと腹の間の陰所とみられるあたりを湯殿山といい、これを出羽三山と称するのです」
 六十里越街道を歩いた2日目、月山のふもとの志津から月山、湯殿山への参詣路である石跳川の道を歩いた。これは玄海コースとも呼ばれ、装束場の峠を越える。北側の斜面を覗くと仙人沢の深い谷間に湯殿山本宮が俯瞰される。ここはまた装束を改める神聖な結界のひとつとなっている。
 湯殿山本宮へ月光坂を下った。鉄梯子が数ヶ所に架けられた難所である。私はその途中で突然尿意をもよおした。「語られぬ袂を濡らす湯殿かな」。有名な芭蕉の句である。
 湯殿山本宮の頭の上のような所で放尿してしまった自分への罰が今度の心臓発作ではなかったか。とにかく、湯殿山をないがしろにした不信心の私でも、太ももと腹の間の陰所に神仏(カテーテル)の加護は届いてくれるものだろうか。
 心臓病の治療は今、カテーテル検査と経皮的冠動脈拡張術という医学的テクニックが一般的という。湯殿山の位置のような内もも、そ径部からのカテーテル挿入に身を任せよう。
 芭蕉が通ったのと同じ装束場から険しい月光坂を下って湯殿山の秘所にたどり着いた私たち。真夏の太陽が陰りを見せ、秋の草花が山の斜面を彩るようになってきた。
 夏の問題は秋が来る前に結着をつけねばなるまいと思っているベッドの上である。