文化遺産
No.50
入道崎灯台
男鹿市北浦入道崎字昆布浦2-14

近代文化遺産

 男鹿半島の西北端にある入道崎灯台は日本の灯台50選にも入る有名な灯台である。北前船などが航行した帆船時代、隣り合う畠漁港は仮泊地となり、戸賀湾には明治の初めに灯台があり、火費を入港船から徴収していたという。
 入道崎に灯台が建てられ、初めて点灯されたのは明治31年(1898)11月8日である。当時、山形、秋田沿岸の日本海には木製の酒田灯台と船川灯台があるだけだった。
 初点された入道崎灯台は白色塗六角形の鉄製で高さ24・54m、石油四重芯灯で、22,000燭光、この第一等の灯台は当時の人々を驚かせるほど立派なものであった。

 その後、大正3年(1914)7月に乙式石油蒸発白熱灯に改良され、昭和13年(1938)には商用電力が利用された。灯火は1500ワットの電球を光源とし、光度は26万燭光となった。昭和26年(1951)、鉄製灯台が老朽化したため改築を施し、高さ28メートルの塔型コンクリート造りに改良されたが、海水面から灯火中心までの高さは57メートルとなった。馴染みの深い白黒横縞模様の現在の灯台の誕生である。
 昭和47年5月、無人化となり、翌48年に入道崎水島照射灯が初点灯された。そして、平成10年には点灯100周年を迎え、電球がA-2(1500w)からメタルハライドランプ(400w)に変更されて現在に至っている。入道崎灯台は北緯40度ラインに位置し、光達距離20海里(約37km)で、照射角度は10度から293度となっている。
 入道崎は昭和初期まで畠や原野で住む人はもちろん、道路もなかった。
映画「喜びも悲しみも幾年月」のように職員が住み込みで管理していた頃、地域住民もまたよく協力し、喜怒哀楽を共にした。

(取材・構成/藤原優太郎)